バチカン典礼」カテゴリーアーカイブ

6月14日(日)教皇による「キリストの聖体」のミサ

バチカン放送日本語課[2020.6.8.]より

教皇フランシスコは、イタリア時間6月14日(日)午前9時45分より、バチカンで「キリストの聖体(コルプス・ドミニ)」のミサをとり行われる。このミサは、バチカン・ニュースを通してビデオ中継される。

教皇フランシスコは、イタリア時間6月14日(日)午前9時45分(日本時間:同日16時45分)より、バチカンで「キリストの聖体」のミサをとり行われる。

このミサは、バチカン・ニュースを通してビデオ中継される。

「キリストの聖体(コルプス・ドミニ)」の祭日は、イエスが聖体を制定した最後の晩餐に深く結びつくものであることから、本来、典礼暦中の「三位一体の主日」の直後の木曜日(今年は6月11日)に祝うよう位置付けられている。

しかしながら、多くの国々の教会では、信者たちがミサに与りやすいように、この祭日を「三位一体の主日」の翌週の日曜日(今年は6月14日)に記念する。

教皇は来る14日、「キリストの聖体」のミサを、50人ほどの参加者と共に、聖ペトロ大聖堂の司教座の祭壇で祝われ、ミサの終わりに聖体降福式をとり行われる。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために08 6月 2020, 17:58

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聖人暦:聖ファウスティナの記念日を10月5日に

バチカン放送日本語課[2020.5.18.]より

教皇庁典礼秘跡省は、聖ファウスティナ修道女の記念日(任意)を聖人暦の10月5日に加える教令を発表した。

教皇庁典礼秘跡省(長官:ロベール・サラ枢機卿)は、聖ファウスティナ(マリア・ファウスティナ・コヴァルスカ修道女、本名:ヘレナ・コヴァルスカ、ポーランド1905-1938年)の記念日(任意)を聖人暦の10月5日に加える教令を発表した。

この教令は、聖ヨハネ・パウロ二世の生誕100年を迎えた5月18日付けで公布された。

聖ヨハネ・パウロ2世は、2000年の大聖年に、「神のいつくしみの信心」を広めたファウスティナ修道女を列聖し、復活祭の翌週の日曜日を「神のいつくしみの主日」として制定した。

今回の教令は、教皇フランシスコが、多くの司牧者や修道者、また信徒の信心会からの嘆願を受け、世界各地におよぶ聖ファウスティナの霊性の影響を考慮した結果、カトリック教会の聖人暦に、「聖マリア・ファウスティナ(ヘレナ)・コヴァルスカ、おとめ」の記念日(任意)を、10月5日に書き入れる旨を承認されたことによるもの。

この新たな記念日は、すべての暦と、ミサと時課の祈りのための典礼書に加えられる。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために18 5月 2020, 17:30

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聖金曜日:バチカンで十字架の道行、刑務所・病院関係者らと

バチカン放送日本語課[2020.4.10.]より

「聖金曜日」の夜、バチカンの聖ペトロ広場で「十字架の道行」がとり行われた。
4月10日、キリストの受難と死を記念した「聖金曜日」の夜、教皇フランシスコはバチカンの聖ペトロ広場で「十字架の道行」をとり行われた。
「十字架の道行」は、イエスが死刑宣告を受けてから、十字架上で息を引き取り、墓に葬られるまでを、14の場面(留)に分け、それぞれの留で黙想し、祈りながら行う信心業。
教皇による聖金曜日の十字架の道行は、恒例としてローマ市内のコロッセオを会場としてきたが、今年はパンデミック危機の状況下、無人のバチカンの広場でとり行われた。
教皇の十字架の道行には、毎年、黙想をより深めるためのテキストが用意される。今年は、イタリア北部パドヴァの刑務所の関係者たちによって準備された。その執筆には、5人の受刑者、犯罪の犠牲者の家族、終身刑受刑者の家族、刑務所の教育部員、司法官、受刑者の母親、カテキスタ、冤罪の犠牲になった司祭、ボランティアの修道士、刑務官が携わり、それぞれが一つの留の黙想を書き下ろした。
また、この道行には、刑務所付司祭をはじめ、元受刑者、刑務官、ボランティアらの刑務所関係者、そして新型コロナウイルスの治療にあたるローマの医師や看護師らが参加し、十字架を掲げた。
沈黙と闇に覆われた広場で、ろうそくの火が十字架の歩む道を照らす中、参加者らは、十字架を掲げ、一留ごとにイエスの受難の場面と、それぞれの十字架を背負いながら神の救いと癒し、そして希望を求める人々の思いを重ねつつ、広場のオベリスクから、大聖堂前へと向かった。
最後の留において、大聖堂前で十字架を受け取られた教皇は、祈りを締めくくると共に、祝福をおくられた。
10 4月 2020, 22:55

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聖金曜日:「人間の苦しみの意味を変容する、キリストの十字架」

バチカン放送日本語課[2020.4.10.]より

「聖金曜日」、バチカンで「主の受難の儀式」がとり行われた。
「聖金曜日」4月10日、バチカンで、教皇フランシスコによる「主の受難の儀式」がとり行われた。
「聖金曜日」は、復活祭直前の金曜日を指し、イエス・キリストの受難と十字架上の死を記念する日である。
聖ペトロ大聖堂の「司教座の祭壇」で行われた「主の受難の儀式」は、他の聖週間中の儀式と同様に、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、教皇とわずかな関係者のみで行われた。
この儀式では、教皇の床に伏しての祈り、「ヨハネ福音書」のイエスの受難と死の場面の朗読、十字架の崇敬などを通して、十字架につけられ掲げられた神の御子の受難と死の神秘、その贖いの業を観想した。
説教は、教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父によって行われた。
カンタラメッサ師は、「キリストの十字架は人間の苦しみの意味を変容した」と述べ、苦しみはもはや一つの「罰」ではなく、神の御子がそれをご自身に引き受けられた時から、それは根本において贖われた、と話した。
新型コロナウイルスの感染拡大は、自分たちは全能であるという幻想から突然わたしたちの目を覚まさせ、これほど小さいウイルスが、人間は不死身でなく、軍事力も、テクノロジーも、わたしたちを救うには十分でないことを教えている、と語った。
このパンデミックを神の懲罰のように見る声に対し、カンタラメッサ師は、神はわたしたちの味方であり、神のご計画は「平和の計画であって、災いの計画ではない」(エレミヤ29,11)と強調。
主はラザロの死に涙を流されたように、今日も、人類を苦しめるこの災害のために涙を流し、すべての父や母のように、苦しんでおられる、と話した。
そして、神はわたしたちが苦しみを乗り越えることができるよう寄り添い、ご自身のご計画にいかなる悪も許されず、むしろ悪から善を引き出す方であると述べた。
イエスが「自分は三日後に復活する」(参照:マタイ27,63)と告げたように、わたしたちもこの時を乗り越えて、復活し、家から出る日が来るだろう、と述べたカンタラメッサ師は、それは、ラザロのように元の生活に戻るためではなく、イエスのように、兄弟愛に満ち、より人間的で、キリスト教的な、新しい生き方を得るためである、と説いた。
聖金曜日には、盛式共同祈願と呼ばれる、荘厳な祈りが捧げられる。この儀式では、普遍的な様々な意向と共に、今日のパンデミックの影響に苦しむすべての人々のため、「神が、患者に回復を、医療関係者に力を、家族に慰めを、亡くなった方に救いをもたらしてくださるように」との祈りが捧げられた。
また、儀式の後半に行われた十字架の崇敬では、教皇が参列者らを代表して崇敬を行った。
この日、祭壇前には、ローマの聖マルチェロ教会の十字架が立てられた。1400年代の作であるこの木彫のイエスの磔刑像は、1519年に同教会をほぼ全焼させた火災の中で焼け残り、1522年、ローマがペスト感染に襲われた際に、その鎮静を祈願する宗教行列で掲げられた歴史がある。
教皇は、覆いをとられた十字架を見つめ、磔刑のイエス像の足元にたたずみ、祈り続けられた。
最後に聖体拝領が行われたが、聖金曜日にミサは捧げられないため、参列者らは前日聖別された聖体を受け、沈黙のうちに解散した。
10 4月 2020, 20:29

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教皇「主の祈り」を唱え、世界に神の憐みを祈る

バチカン放送日本語課[2020.3.25.]より

教皇フランシスコは、3月25日、「主の祈り」をビデオを通し唱えられた。
教皇フランシスコは、現地時間3月25日(水)正午、「主の祈り」をビデオを通し、世界のキリスト者と共に唱えられた。
3月22日(日)の「お告げの祈り」の際、教皇は、パンデミックによる試練の中、キリスト者たちの一致した祈りを呼びかけておられた。
教皇は、バチカン宮殿の図書室からの中継で、祈りの前に次のように話された。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん
今日、わたしたちは、イエスがわたしたちに教えてくださった「主の祈り」を唱えるために、世界のすべてのキリスト者と共にここにいます。
子としての信頼をもってわたしたちは御父に向かって祈ります。
わたしたちは、毎日、何度もそうしています。しかし、今、わたしたちは、新型コロナウイルスの感染拡大の苦境にある人類のために、神に憐みを乞いたいと思います。そして、すべてのキリスト教教会と共同体、あらゆる宗派、年齢、言語、国に属するキリスト者と共に祈りたいと思います。
病者とその家族、医療関係者と彼らを助ける人々、行政当局、公安関係者、ボランティアの人々、また、わたしたちの共同体に奉仕する人々のために祈りましょう。
今日は、多くのキリスト者が、「神のお告げ」を祝う日です。おとめマリアの謙遜で完全な「はい」という態度は、神の御子の「はい」と重なるものでした。わたしたちも完全な信頼をもって、わたしたちを神の御手にゆだねましょう。そして心と魂を一つにして、祈りましょう。」
こうして、教皇は「主の祈り」をラテン語で唱えられた。
この後、聖ペトロ大聖堂で、アンジェロ・コマストリ枢機卿による、お告げの祈りとロザリオの祈りが行われた。
25 3月 2020, 15:30

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教皇、ローマのアベンティーノで「灰の水曜日」の伝統儀式

バチカン放送日本語課[2020.2.27.]より

四旬節の初日、教皇フランシスコは、ローマのアベンティーノ地区の聖サビーナ教会で「灰の式」をとり行われた。
カトリック教会の典礼暦で、復活祭の準備期間「四旬節」に入った2月26日(水)、教皇フランシスコは、ローマ市内の聖サビーナ教会で、「灰の水曜日」の伝統儀式をとり行われた。
「四旬節」は、公生活に入る前のキリストが「霊」に導かれ、荒れ野に行き、40日間の断食を行ったことを思い起こすもので、信者はこの間、悔悛・祈り・断食・節制・施し・愛徳の業などを通し、キリストの復活の記念によりふさわしい形であずかれるよう精神的準備を行う。
「四旬節」の初日は「灰の水曜日」と呼ばれ、この日、教会では、各々が死と痛悔の象徴である灰を受ける、「灰の式」がとり行われる。
この儀式には、前年の「受難の主日(枝の主日)」(復活祭直前の日曜日で、聖週間初日)に祝福された枝を燃やした灰が用いられる。司祭はその灰を聖水で祝別し、「あなたはちりであり、ちりに帰る」
(創世記3,19)、または「回心して福音を信じなさい」(マルコ1,15)という言葉をもって、信者の頭や額に灰で十字のしるしをする。
この日の夕方、教皇による「灰の水曜日」の一連の儀式は、ローマのアベンティーノの丘の教会群の間で行われた。
まず、聖アンセルモ教会での祈りと共に、宗教行列が出発。諸聖人の連祷が響く中、行列は聖サビーナ教会へと向かった。
到着した聖サビーナ教会で、教皇はミサを捧げられ、この中で「灰の式」をとり行われた。
説教で教皇は、四旬節は人々に無用な道徳主義を投げかけるための時ではなく、惨めな塵に過ぎないわたしたちが、神に愛されていることを知るための時である、と強調。
四旬節とは恵みの時、わたしたちに注がれる神の愛の眼差しを受け入れ、生き方を変える時、と述べられた。
「わたしたちは、灰からいのちへと歩むために、この世にいます。それゆえ、希望を燃やしてしまうことがないように、神がわたしたちに与えてくださったしるしを灰に帰することがないように、決してあきらめてはなりません。」
「世の中が悪い方に向かい、恐怖が広がり、多くの悪意があり、社会が非キリスト教化しつつある時、どうして信頼できようか、とあなたは言うかもしれない。しかし、神はわれわれの塵を栄光に変えることがおできになると、あなたは信じないのでしょうか。」
教皇はこのように説かれた。
説教に次いで行われた「灰の式」で、教皇は、聖サビーナ教会を名義教会とするジョセフ・トムコ枢機卿から、頭に灰を受けられた。
この後、教皇は、トムコ枢機卿そして他の参加者らの額に、灰で十字のしるしを与えられた。
27 2月 2020, 12:43

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聖金曜日:イエスの受難と死を観想し、十字架を崇敬する儀式、バチカンで

2019年4月18日バチカン放送日本語課の記事より。

聖金曜日:イエスの受難と死を観想し、十字架を崇敬する儀式、バチカンで

「聖金曜日」、教皇フランシスコはバチカンで「主の受難の儀式」をとり行われた。

4月19日、教皇フランシスコは、イエス・キリストの受難と死を記念する「聖金曜日」の儀式をとり行われた。

この日の夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた「主の受難の儀式」では、ことばの典礼に続き、十字架の崇敬と、聖体拝領が行われた。

儀式は、祭壇前の床に伏した教皇の長い沈黙の祈りから始まった。

ことばの典礼では、主の僕の苦難と死についての預言が語られる「イザヤ書」(52,13-53,12)、罪の贖いのためにご自分を捧げ、救いの源となった偉大な大祭司イエスについて述べる「ヘブライ 人への手紙」(4,14-16; 5,7-9)に続き、イエスの受難と死が「ヨハネ福音書」(18,1-19,42)から朗読された。

教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父は、説教で、「軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負った」と「イザヤ書」(53,3)にある「この人」とは、ナザレのイエスであると述べ、イエスを、世界のすべての疎外された人々、侮べつされ傷つけられた全人類の代表として観想。

全歴史の中で最も偉大な人がわたしたちと同じ仲間であると、わたしたちは民族・宗教を超えて叫ぶことができる、と語った。

しかし、イエスは単に世界の疎外された人々の仲間であるということに留まらない、とカンタラメッサ神父は指摘。

「イエスは十字架につけられ、死に、復活した!イエスにおいて、完全な覆しが起こり、敗者は勝者になり、裁かれた者は裁く者となった」

「イエスは世界の疎外された人々に、尊厳だけではなく、希望を取り戻させた。復活祭は神によって計画され、キリストを通して実現された逆転の祭り、貧しい人や、見捨てられた人々の祭りである」

カンタラメッサ神父はこのように説いた。

説教に続いて、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられた。

十字架の崇敬では、十字架を手に助祭が入場。祭壇に向かいながら、三度歩を止め、そのたびに十字架を顕示し、「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」と、人々を招いた。

本廊脇で教皇は十字架を迎え、十字架上のイエスに接吻された。

この後、十字架は祭壇前にもたらされ、助祭、枢機卿、司教、司祭、修道者、信徒代表らによる崇敬が続いた。

最後に、教皇は祭壇上から十字架を会衆に示された。

聖体拝領式の後、会衆は沈黙のうちに解散した。

19 4月 2019, 19:28
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イエスのエルサレム入城に響く叫びを観想、教皇、受難の主日のミサで

2018年3月25日バチカン放送日本語課の記事より

イエスのエルサレム入城に響く叫びを観想、教皇、受難の主日のミサで

教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ広場で、「受難の主日」のミサを捧げられた。

3月25日、カトリック教会の典礼暦は「受難の主日」を迎えると共に、復活祭直前の一週間、キリストの受難を記念する「聖週間」に入った。

「聖週間」の第一日目「受難の主日」は、「枝の主日」とも呼ばれる。

この日は、イエスのエルサレムに入城した際に、大勢の群集が自分の服や、木の枝を道に敷き、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んでイエスを歓迎したという福音書の記述を思い起こし、ミサの前に、オリーブやシュロの枝を掲げて、宗教行列が行なわれる。

また、「受難の主日」には、教区レベルの「世界青年の日(ワールドユースデー)」が記念される。

第33回目となる今年の「世界青年の日」のテーマは、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」 (ルカ 1,30)。

このミサには、ローマ教区と周辺教区の青少年、また、ローマで開催された若者をテーマとしたシノドス準備ミーティングや、大学生のフォーラムの参加者たちの姿が見られた。

ミサ開始前、教皇フランシスコは、聖ペトロ広場のオベリスクの前で、人々が手にする枝を祈りと聖水をもって祝別。

続いて、若者たちや、修道者、司祭、司教、枢機卿、そして教皇は、枝を掲げ、賛歌に声を合わせながら、大聖堂前の祭壇まで行列した。

教皇はミサの説教で、イエスのエルサレム入城に響く様々な叫びを観想。

エルサレムに入城したイエスを迎える民衆の歓喜と祝祭、主を賛美する叫びにわたしたちも招かれる一方で、主の十字架の道行と共に、その喜びは苦しみと苦さへと変えられていく。教皇は人々の叫びを通し、こうした主の受難の出来事に交差する喜びと苦悩を見つめられた。

教皇は、主の受難の物語は、多く愛することができる一方でまた憎悪することもでき、立派な犠牲ができる一方ですぐに自分は関係ないと背を向けることもできる、今日のわたしたちの感情や矛盾をも明るみに出すものと話された。

エルサレムでイエスは人々の歓呼に囲まれる。教皇は、それは自分たちの苦しみや惨めさの中でイエスの憐れみに触れ、イエスに従った人々の叫び、赦され、自信と希望を取り戻した罪びとたちの喜びの声であったと述べられた。

しかし、その一方で、人々の歓喜は、律法や宗教上の義務に「忠実」で自らを正しいと考えている人々には迷惑なもの、人々の苦しみや貧しさに対する感受性を失った人々にはいらだたしいものであった、と教皇は指摘。

自分の力を過信し、自らを他人より優れた者と思い込む者たちにとって、人々と喜びを分かち合うのは、いかに難しいことであったかと話された。

「十字架につけろ」というイエスに対する叫びは、こうして生まれたと述べた教皇は、それは自分の立場を守りたい者の声、驕りや傲慢による計略が作り出した叫びであったと語られた。

そして、最後には民衆の祝祭は止められ、希望や夢は壊され、喜びはかき消された。人々は心を閉じ、愛は冷えてしまったと話された。

こうしたすべての叫びを前に、わたしたちがとるべき態度、それは十字架上のキリストを見つめ、キリストの最後の叫びを聞いて、そこから自問することであると教皇は強調。

わたしたち一人ひとりへのご自分の愛を叫びながら亡くなられたイエスを思うよう招かれた。

教皇はこのミサに集った若者たちに、彼らの心にイエスが生む歓喜を消さないようにと願われた。

ここで教皇は、イエスのエルサレム入城の日に響いたもうひとつの声、神を賛美する弟子たちにいらだち、「先生、お弟子たちを叱ってください」(ルカ19,39)とイエスに言った人々の声と、それに対し「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」(同19,40)と答えたイエスの言葉を思い起こされた。

教皇は、いろいろな方法で若い人たちの声がかき消されても、また、たとえ世界が沈黙し、喜びが失われても、「石が叫び出す」前に叫ぶことができるか、それは皆さんの決断にかかっていると、若者たちを励まされた。

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教皇、メルキト・ギリシャ典礼の司教団と

2018年2月13日バチカン放送日本語課の記事より

教皇、メルキト・ギリシャ典礼の司教団と

教皇フランシスコは、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会の司教団に励ましをおくられた。

メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会の信者は、中東地域、特にシリアからレバノンにかけて多く、このほか世界の諸地域にディアスポラによる共同体がある。

同典礼の司教らは、レバノンで開催された総会の後、バチカンを訪れ、教皇との出会いやミサによってローマとの絆を新たにした。

2月12日、司教団はバチカン宮殿に教皇を訪問。

教皇は司教らへの言葉で、シリアと中東全土で人々に貴重な奉仕を続けるメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のために祈ると共に、よりよい生活を求めて世界各地に離散した信者らとその司牧者たちを思い起こされた。

教皇は、同教会の司教・司祭たちが自らの生き方を通して信仰を証しし、信者たちが教会の古い歴史が刻まれた土地に残ることができるよう、励まして欲しいと願われた。

2月23日に「平和のための特別な祈りと断食の日」が行なわれることに言及しながら、教皇はここ数年筆舌に尽くしがたい苦しみを体験したシリアのために祈ることを約束された。

この集いの翌日、13日朝、教皇はバチカンのサンタ・マルタ館の礼拝堂で、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のユーセフ・アブシ・アンティオキア総大司教とミサを共同司式された。

ユーセフ・アブシ総大司教(71)は、シリア・ダマスカスの出身。2017年6月、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のシノドスで、アンティオキアとエルサレム、東方全土における総大司教に選出された。

教皇はこのミサの意味について、一つの非常に古い教会の父としてローマを訪れたユーセフ総大司教が、ペトロ、すなわちローマ教皇を抱擁し、教皇との一致を表すためのものと説明された。

メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会の豊かな伝統、神学、典礼に触れると共に、中東で今、迫害に苦しんでいる同教会の信者たちに思いを寄せられた教皇は、このミサをこれらの兄弟たちのために捧げられた。

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