毎月第二、第四土曜日の朝7時から基山教会聖堂でミサをしています。今朝のミサのオミリア[8分]2015 29th Sat. in ordinary time(B)←をクリックして聴くことができます。

ミサ後の歓談のひととき

《第一朗読》ローマ8・1-11 本田哲郎訳「ローマ/ガラテヤの人々への手紙」
《「神の霊=キリストの霊」に自分を合わせて、霊の人として生きる》(9-11節)
あなたたちは、神の霊が自分に宿っているかぎり、感覚の人として生きるのではなく、霊の人として生きるはずです。しかし、キリストの霊をもたない人がいるとしたら、その人はキリストに属する人ではありません。キリストがあなたたちの内におられるなら、体の面では、はずれた道のせいで死んだものとなってはいても、霊の面では、解放の働きのおかげで生きるものとなります。イエスを死んだ者たちの中から立ち上がらせた霊が、あなたたちに宿っているなら、キリストを死んだ者たちの中から立ち上がらせた神が、あなたたちに宿っているキリストの霊によって、あなたたちの死ぬべき体をも生かしてくださいます。
《福音》ルカ13・1-9 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」
低みに立って見直すことをしなければ、滅びる
ちょうどそのとき、数人の人がやって来て、ガリラヤの人たちがいけにえをささげていたとき、ピラトがかれらの血を流していけにえにまぜたと報告した。イエスはそれについて、こう言った。「そのガリラヤの人たちがそのような目にあったのは、ほかのガリラヤ人のだれよりも『道をふみはずした者』だっかたらだと、あなたたちは思うのか。そうではない。言っておくが、あなたたちも低みに立って見直すことをしなければ、みな同じように滅びるのだ。また、シロアムの塔がくずれて、下じきになって死んだあの十八人は、エルサレムの住人のだれよりも『負い目をもつ者』だったからだと、あなたたちは思うのか。そうではない。言っておくが、あなたたちも低みに立って見直すことをしなければ、みなそのように滅びるのだ」。
神は福音の実り(低みに連帯して、行動を起こす)を、しびれを切らして待っている
さて、イエスはつぎのたとえを話した。「ある人が、自分のぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実をさがしに来たが、見つけなかった。そこで、その人は剪定師(せんていし)に、『三年間、このいちじくの木の実をさがしに来ているが、見つけたためしがない。もう、切りたおしなさい。土地のむだづかいではないか』と言った。すると剪定師は、『主よ、ことし一年だけ、このままにしてやってください。木のまわりを掘り、肥料を入れてみます。このつぎには実をつけるかもしれません。それでもだめでしたら、切りたおしてください』と言った」。