とりあえず、復活徹夜祭の様子を写真で…。photo by S.O.

聖堂内のすべての明かりが点けられ「言葉の典礼」が始まる。「創世記」の人の創造物語から始まり、旧約聖書から七つの箇所が読まれる。こうして神による人類の救いの歴史を思い出す。祭壇上のろうそくに火が灯されて一同で「栄光の賛歌」を歌い、パウロの手紙が読まれた後、最後に復活の出来事が司祭によって朗読される。
第一部 光の祭儀 《復活徹夜祭は、光の祭儀によって盛大に始まる。教会堂の外の適当な場所に火が用意され、皆はろうそくを手に持ってそこに集まる。司式司祭は、復活徹夜祭と光の意味を簡単に説明した後、火を祝福し、復活の大ろうそくを祝福した後、その新しい火で復活のろうそくをともす。続いて、復活ろうそくを先頭に一同は教会堂に向かって行列を開始する。助祭は復活ろうそくを高くかかげて「キリストの光」と歌い、一同は「神に感謝」と答える。教会堂の入口で二度目の「キリストの光」「神に感謝」が歌われた後、復活ろうそくから各々のろうそくに火がともされる。助祭は、祭壇の前で三度目の「キリストの光」を歌ってから、復活ろうそくを朗読台のそばにあるろうそく台に立て、朗読台から「復活賛歌」を歌う。助祭あるいは司祭は「神の使いよ天に集い、声高らかに喜び歌え」と歌い出し、会衆は「偉大な王の勝利を祝って…」と答え、復活賛歌が始まる。復活賛歌の間、会衆は火をともしたろうそくを手に持って立っている。》
第二部 ことばの典礼 《復活賛歌が終わると教会聖堂内の照明がつけられ、一同はろうそくを消して着席する。そして、一年の教会の暦の中でも最も豊かなことばの典礼、復活徹夜祭のことばの典礼が始まる。朗読は全部で九つ、そのうちの七つまでが旧約聖書から取られ、神が人間の歴史を通してどのように働きかけてくださったかを深く味わうことができるようになっている。その中でも、第三朗読の「エジプトからの過越の出来事」(出エジプト記14章)は「主の過越」のかたどりとして最も重要である。》
第三部 洗礼と堅信 《復活徹夜祭は、初代教会の時代より、最も意味深く盛大に、成人の入信式を行うべき時として尊ばれています。洗礼、堅信、そして受洗者が初めてあずかる聖体の秘跡は、三つが一つとなって、キリスト教入信の秘跡と呼ばれます。「わたしたちは、この三つの秘跡によって悪の力から解放されてまことの自由を得、キリストとともに死んで葬られ、キリストとともに復活して神の子となる霊を受ける。そしてキリスト教生活全体の源泉であり頂点である主の過越の記念を、神の民とともに感謝にあふれて喜び祝う」のです。このような意味合いを表すために、現在の復活徹夜祭の典礼の第三部は、洗礼の儀と堅信の儀からなっており、第四部の感謝の典礼へと続きます。この祝いを通して、教会共同体全体も、キリストの復活にあずかり、新たに生まれるのです。》
第四部 感謝の典礼 《感謝の典礼からはいつもの主日(日曜日)のミサと同じように行われる。》 以上、オリエンス宗教研究所「聖週間の典礼」より
《聖土曜日は、キリストが墓に葬られた後の大安息日であり、キリストの受難と死をしのぶ日です。そのため、聖金曜日と同じようにミサは行われません。エルサレムでもすでに四世紀末にはこのような習慣があり、人々は復活徹夜祭の準備をしていました。この復活徹夜祭は、エルサレムでは荘厳なことばの典礼と成人の洗礼式によって盛大に祝われていましたが、夜を徹してキリストの復活を記念するこのような典礼は、エルサレムだけでなく、西方でも東方でも広く行われていたようです。
…復活徹夜祭の典礼は「光の祭儀」、「ことばの典礼」、「洗礼と堅信」、「感謝の典礼」の四つの部分で構成されています。この典礼では、火、水、復活ろうそくなどキリストの復活と新しいいのちを象徴するシンボルが多く用いられます。復活徹夜祭の大きな特徴は、洗礼式が行われることですが、これは初代教会のころからの伝統です。洗礼は、受難と死を通して復活したキリストの過越(すぎこし)にあずかり、一人ひとりが古い自分に死んで、復活したキリストの新しいいのちに生まれる「過越(すぎこし)」です。したがって、一年のうち最も最大にキリストの過越を記念するこの夜こそ、洗礼式のためにふさわしい時と考えられてきました。すでに信者となった人々も、この洗礼式を通して自らの洗礼を思い起こし、神の子として生きる決意を新たにします。》オリエンス宗教研究所「聖週間の典礼」より
明日30日(土)18時30分からの「復活徹夜祭」は《関門テレビ》でインターネット中継されます。「徹夜祭」にはどなたでも参加できます。どうぞお越しください。
《キリストの受難と死を思い起こす主の受難の祭儀は、聖金曜日の午後、できればキリストが息をひきとったとされる三時ごろに行われます。全体は「ことばの典礼」、「十字架の崇敬」、「交わりの儀」の三つの部分で構成されています。この典礼は、単にキリストの受難と死を時間の経過に従って再現しようとするものではありません。救いの歴史におけるキリストの受難と死の意義を思い起こし、復活への希望のうちに十字架の勝利を賛美するものです。そのため、キリストの受難の朗読を中心とすることばの典礼は、全教会と全人類のための荘厳な共同祈願で締めくくられ、わたしたちの救いのしるしである十字架の勝利をたたえる典礼が続きます。
四世紀のエルサレムでは、木曜日の夜から続く徹夜の祈りの後、人々は夜が明けると町に戻り、ゴルゴタの丘に建てられた教会堂で、キリストの受難の出来事の中からピラトによる尋問の箇所の朗読を聞きました。そこではまた、昼ごろまで十字架の遺物が展示され、人々はそれを礼拝しました。そして、正午から午後三時まで、旧約聖書と新約聖書からキリストの受難と死を思い起こすのにふさわしい箇所が朗読され、午後三時にヨハネ福音書からキリストの死の箇所が朗読されました。さらに、疲れを知らない元気な人はその夜もゴルゴタの丘の教会堂に集まり、キリストの復活に希望をおいて詩編による徹夜の祈りをささげていました。エルサレムのこのような習慣は巡礼者によって各地に伝えられ、聖金曜日の典礼の発展に大きな影響を及ぼしました。》オリエンス宗教研修所「聖週間の典礼」より
聖金曜日は午後三時からイエスの十字架の道を黙想する「十字架の道行」が行われ、午後七時からは「主の受難」の典礼が行われます。どうぞお越しください。
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今年の復活祭は3月31日。春分の日の後の満月の直後の日曜日に、毎年記念します。24日(日)の「受難(枝)の主日」から始まった「聖週間」の日々は、特別に「聖なる日」として記念されます。聖月曜日、聖火曜日、聖水曜日、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日というふうに…。その中でも最後の三日間は「聖なる三日間」と呼ばれます。
《「聖なる三日間」とは、「三日目に復活し」(使徒信条)といわれるときと同じように、実は、日没が一日の境目であるという当時のユダヤ暦の考えがもとになって、次のような数え方をします。 1. 第一日(ユダヤ暦の週の第六日)木曜日の日没から金曜日の日没まで。すなわち、最後の晩さんからイエスの死、そして墓に葬られるまで。典礼上は、聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」から、正式には午後三時ころ行われる聖金曜日「主の受難」の祭儀まで。》 2. 第二日(ユダヤ暦の安息日)金曜日の日没から土曜日の日没まで。主の墓にとどまって、主の受難と死を思うという意味で、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげません。 3. 第三日(ユダヤ暦の週の初めの日)土曜日の日没から日曜日の日没まで。教会はこの夜を復活徹夜祭で盛大に祝い、翌朝、復活の主日のミサを行い、そして復活の主日の晩の祈りで締めくくります。》オリエンス宗教研究所「聖週間の典礼」より
今日は「聖木曜日」。夜7時から「主の晩さんの夕べのミサ」が行われます。ミサそのものが、イエスと弟子たちがした「最後の晩さん」の記念ですが、今日は特別です。今晩のミサで読まれる聖書の言葉は…1. 出エジプト記[12・1-8、11-14] 2. コリントの信徒への第一の手紙[11・23-26]3. ヨハネによる福音[13・1-15]。ヨハネ福音書では、最後の晩さんの場面が読まれるのではなく、晩さんの席でイエスが弟子たちの足を洗った様子が読まれます。その後の説教に続いて、「洗足式」が行われます。互いに仕え合うように、というイエスの教えを思い起こすためです。
《4世紀末のエルサレムでは夕方にこのミサが行われ、信者は全員聖体を受けました。ミサが終わると一同は家に戻って食事をした後、夜7時にオリーブ山に集まり、聖書朗読と詩編による祈りを行いました。そして真夜中を過ぎたころに、今度はキリストが捕らえられた場所に集まって、その出来事を聖書から朗読し、キリストの受難を思い起こして涙を流したことが伝えられています。》オリエンス宗教研究所「聖週間の典礼」より
最後の晩さんの記念であるミサに続いて、「聖体安置式」が行われます。聖堂とは別室に「聖体」が安置され、希望者は個人的に祈りを続けます。
明日、「主の受難」を記念する聖金曜日には、午後3時から「十字架の道行」の祈りが、夜7時からは「主の受難」を記念する典礼が行われます。
ぜひ、お越しください。もちろんカトリック信者でない方も参加できます。お待ちしています。
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クリスマス(降誕祭)は12月25日に決まっているが、復活祭は毎年変わる。今年は3月31日。その一週間前の日曜日を「受難の主日」と呼び、その週を「聖週間」という。さらにその最後の三日間を「聖なる三日間」と呼び、イエスの受難と死と復活を祝う。
カトリック教会の暦は世界共通で、全世界の教会が同じ暦に従う。この教会でも「受難の主日」が記念された。ミサの始めはいつもと違って、聖堂の前の広場に集まり、手に枝を持ってイエスのエルサレム入城を記念する。
聖堂に行列をして入る…。
今日は特別に受難の朗読が行われた。[ルカによる主イエス・キリスト・キリストの受難:ルカ福音書23章1-11節]
当然、バチカンの聖ペトロ広場でもフランシスコ教皇主司式で「受難の主日」の典礼が行われた。この日は《世界青年の日》でもあり、教皇は説教の中で若者たちを励ました。
30分前に熊谷榧さんの「スビラックスのキリスト像」が教会に着きました。
今晩から「聖週間」が始まります。受難の主日です。今日(明日)はイエスのエルサレム入城を記念します。この一週間、31日の「主の復活」の主日に向けて、イエスの十字架の道を共に歩みます。
《…イエスがオリーブや魔の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」…》
イエスを賛美したこの群れの舌が乾かないうちに…同じ民がイエスを「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続ける…。
バチカンニュースから
バチカン放送は日本語でも放送されています。日本語での信頼のおけるニュースを知ることができます。
フランシスコ教皇は今年の聖木曜日(3月28日)、主の晩さんのミサをローマ市内の青年刑務所で行い、受刑者の足を洗います。ブエノスアイレスの大司教時代も刑務所や病院、貧しい人たちのためにホスピスなどで行っていました。
ヨハネ福音書の記事…[13章1節〜]
《さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときのことであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の籍から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。……さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び籍に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。…主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗いあわなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである…》[新共同訳]
(Vatican Radio) It was announced by the Holy See Press Office on Thursday that Pope Francis will celebrate the Holy Thursday Mass of the Lord’s Supper at the juvenile prison ‘Casal del Marmo’ in Rome, the same facility visited by Pope Benedict XVI in 2007. The Mass of the Lord’s Supper, which commemorates the institution of the Eucharist, also features the rite of the washing of the feet. In his ministry as Archbishop of Buenos Aires, Cardinal Bergoglio used to celebrate the Mass in a prison, hospital or hospice for poor and marginalized people. The other Holy Week celebrations are expected to follow the schedule already released by the Office for Liturgical Celebrations.