《わたしたちは何を信じているのでしょうか》
教皇フランシスコは教皇に選ばれた後、次のように言われたことがあります。「わたしは王位を継ぐのではありません。わたしは田舎の漁師ペトロの後継者です」と。たしかに教皇(ローマ法王)はバチカンという小さな国の国家元首でもあります。でも、それは後世に出来た組織であって、教会の最初からあったものではありません。教皇はペトロの意志(信仰)を受け継ぐ者です。そして、実はわたしたちも聖ペトロや聖パウロの信仰を受け継ぐ者でもあるのです。
わたしたちは何を信じているのでしょうか。イエスと会ったこともない、見たこともない。その声を聞いたこともないのに…。
ペトロの信仰…ペトロはイエスをメシア(キリスト=救い主)と宣言しました(今日の福音参照:マタイによる福音第16章13〜19節)。教会はこのペトロの信仰を継承しています。「イエス・キリスト」ということ。これは名前と名字ではありません。信仰を表すもっとも短い表現ということができます。つまり「イエスはキリストである」という宣言です。あのナザレのイエスは救い主。わたしを赦し、受け入れ、生きる力を与えてくださる方…という信仰を表す「完璧な表現」なのです。
キリスト者は何を信じているのですか、と問われたら…「イエス・キリスト」と答えるのです。使徒(弟子)たちから今に至るまで伝えられていること…「イエスはキリストである」ということを信じているのです…というのが答えです。
「イエスは復活して今も共にいてくださる」「イエスはわたしに生きる希望と力、人生の意味を教えてくださる」「イエスはわたしを勇気づけてくださる」…というのが信仰の表現です。そして、言葉だけでなく、それを信じている者として生きることによって、この今の世界で証しをしていくのです。
「イエス・キリスト」=「イエスはキリストです」「イエスはわたしの救い主です」