月別アーカイブ: 2015年7月

[聖クララ修道院]年間第17金曜日のオミリア(2015.7.31.)

聖クララ修道院ミサでのオミリア(短い説教)[9分]2015 17th Fri. in ordinary time(B)←をクリックして聴くことができます

Exif_JPEG_PICTURE

フィリッピン・ミンダナオ

《今日の福音》マタイ13・54-58 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」 

さて、イエス・キリストは自分の故郷の村へ来て、会堂で真実をときあかしはじめたが、人々はおどろきあきれて言った。「このような知恵と力あるわざを、この男はどこから得たのだろう。この男は石切りのせがれではないか。母親はあのマリアで、兄弟は、ヤコブに、ヨセフに、シモンに、ユダではないか。その姉妹もみな、われわれの前にいるではないか。こういうことをみな、この男はどこから得たのか」。みな、イエスのことでつまずいた。イエス・キリストはその人たちに言った「預言者は、自分の故郷と家族のあいだでは、軽んじられるものだ」。そして、人々が信頼をもってあゆみを起こそうとしなかったため、そこでは力あるわざをあまり行なうことはなかった。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[聖クララ修道院]年間第17木曜日のオミリア(2015.7.30.)

聖クララ修道院ミサでのオミリア(短い説教)[8分]2015 17th Thur. in ordinary time(B)←をクリックして聴くことができます

★IMG_7830

ガリラヤ湖の朝

《今日の福音》マタイ13・47-53 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」 

また、天の国は、湖に入れてどんな魚でも集める引き網のようだ。網がいっぱいになると岸に引きあげ、座って、良いものは器に入れ、粗悪なものは外にほうる。世の終わりはこのようである。み使いたちがやって来て、解放をこころざした人々のあいだから威圧的な者たちをより分け、燃えさかる炉に投げこむ。そこには嘆きと歯ぎしりがあるだろう。「あなたたちは、このことをみな、心に感じて共に立つ気になったか」。弟子たちは「はい」と言った。そこでイエスは言った。「だから、天の国に弟子入りした律法学者はみな、自分の倉から新しいものと古いものとをいっしょくたに取り出してしまう、家の主のようなものだ」。イエスはこれらのたとえを話しおわると、そこを立ち去った。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[聖クララ修道院]年間第17水曜日のオミリア(2015.7.29.)

聖クララ修道院ミサでのオミリア[15分]2015 17th Wed. in ordinary time(B)←をクリックして聴くことができます

アシジからペルージャ

アシジからペルージャ(奥の山の下方がペルージャの街)

《今日の福音》ルカ10・38-42 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」 

一行が道を行くかたわら、イエス・キリストはとある村に立ちよった。マルタという名の一人の女性がイエス・キリストを家に迎え入れた。マルタにはマリアという妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話しに聞き入っていた。マルタは、あれこれもてなしのためにいそがしくしていたが、そばに来て言った。「主よ、妹がわたしだけにもてなしをさせているのを、あなたは気になりませんか。わたしを手伝うように言ってやってください」。すると、主はマルタに言った。「マルタ、マルタ、あなたはあれこれ気づかい、心配してくれている。必要なことは、人それぞれだよ。マリアは自分にいいほうを選んだのだ。それを取り上げてはならない」。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

ぜひ読みましょう。教皇フランシスコのメッセージ。

IMG_4919

4月11日に発表された教皇フランシスコの、いつくしみの特別聖年公布の大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」が翻訳され、7月13日に発行されました(全45ページ)。ぜひ読んでいただきたい文書です。かならず読んでほしい文書です。小郡教会と鳥栖教会のレターケースに手紙と一緒に入れています。聖堂は8時頃から夜7時頃まで開いていますので、日曜日に来れない方もぜひ立ちよってお取りください。レターケースのない方も聖堂入口に置いていますのでご自由にお取りください。また、友人、知人にもお渡しください。特別聖年は12月8日から来年の11月20日までですが、今から読んでおいていただきたいです。教皇フランシスコは願っています。

《ゆるしのことばが、すべての人に届きますように。また、いつくしみを知るようにという招きに、無関心のままでいる人がいませんように。》(19番:33ページ)。

この文書の最後25番(44ページ)では…

《教会は、一刻を争うほど緊急に、神のいつくしみを告げる必要性があると強く感じています。教会がいつくしみについて確信をもって告知するときに、教会の生き方は真のもの、信憑性(しんぴょうせい)のあるものとなります。》と言われています。

何度も何度もお読みください。そうすれば、イエスの教えの根本が示されていることに気づき、新たな力がこころの中に湧いてくるでしょう。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]