月別アーカイブ: 2016年5月

神が目をとめてくださる人とは[2016.5.31.オミリア]

《「聖母の訪問」の祝日のオミリア》神のあわれみ、いつくしみは、弱くされた、小さくされた人にそそがれる。*オミリア(み言葉を基にした短いお話し)と共に聖書の言葉やミサで使われる「言葉」を紹介しています。時間のある時にゆっくりと「言葉」を味わうことをお勧めします。読む方へのメッセージに気づくことができると思います。

聖クララ会の聖堂で行われたミサのオミリア[4分][クララ会]2016.5.31.聖母の訪問←をクリックして聴くことができます。

*イエスを宿したマリアが聖霊に導かれてエリサベトを訪問したこと(ルカ1・39-56)は、すでに古代の末期から祝われた。ローマでは八世紀に待降節中に聖母の訪問が祝われ、東方教会には昔から七月二日にその祝日があった。第二バチカン公会議後の典礼刷新で、「エリサベトはもう六か月になっている」(同1・36)という天使ガブリエルのマリアへの言葉と、「マリアは三か月ほどエリサベトのところに滞在した」(同1・56)という聖書の記述に従って、この祝日は「神のお告げ」(三月二十五日)と「洗礼者聖ヨハネの誕生」(六月二十四日)の間の日に移された。四月の初めは復活祭と重なることが多いので、この祝日はマリアの月とされている五月の最後の日に定められた。(『毎日の読書』より)

《福音朗読》ルカ1・39-56 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

不安いっぱいのマリア、痛みを知るエリサベトを訪ねる

 数日後、マリアは心を決め、急いで山路(やまじ)をたどり、ユダの町に向かった。そして、ザカリヤの家に入ると、エリサベトにあいさつのことばをかけた。エリサベトがマリアのあいさつのことばを耳にするや、その腹の子がおどった。そして、エリサベトは聖霊にみたされて、声高く叫んで言った。「おまえは、女たちのだれよりも祝福されています。おまえのおなかの子も祝福されています。どうしたことでしょう、主の母が、わたしのところへ来てくださるとは。おまえのあいさつの声がわたしの耳にとどいたとき、わたしのおなかの子が喜んでおどりました。神から告げられたことを、そのとおりになると信頼して受けとめた人は、神からの力があるのです」。

「けがれ」を引き受けて解放された、マリアの賛歌

 そこで、マリアは言った。「わたしは心から主をあがめます。わたしを救ってくださる神に対して 心の底から喜びでいっぱいです。神は、身分いやしいこの主のはしために、目をとめてくださったのです。今からのち、世のすべての人が 神からの力がわたしにあると言うでしょう。力ある神は、大いなることをわたしになさいました。この神は聖なる方、人の痛みを知るその心は 代々(だいだい)、神をおそれ敬う人たちに向けられます。神はその腕の力を現わし、思い上がる人たちを打ち散らしました。すなわち、権力者をその座から引き下ろして 身分いやしい人たちを引き上げ、飢えた人たちを良いもので満たして 金持ちたちを手ぶらで追い返したのです。神は、人の痛みを知るその心をあらたにし、『仕える者』イスラエルを、受け入れました。神がわたしたちの先祖、アブラハムとその子孫に語られたとおりでした」。マリアは三ヵ月ほどエリサベトといっしょにいて、それから自分の家に帰って行った。

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教皇フランシスコ、 全世界の助祭たちに 「自分の仕事にではなく神へ奉仕者であれ」

2016年5月29日バチカン放送日本語課の記事より

教皇フランシスコ、 全世界の助祭たちに 「自分の仕事にではなく神へ奉仕者であれ」

五月の最終日曜日、29日バチカンの聖ペトロ広場では「助祭たちのための聖年」を締めくくる荘厳な教皇ミサが捧げられた。教皇フランシスコはミサ中の説教において、助祭の任務は何をおいても神と人々に奉仕することであることであると強調された。

「親愛なる兄弟の皆さん、皆さん助祭は一人ひとり例外なく神のみことばの使徒であり同時にまた奉仕者であります。助祭たちはそれぞれ自分の仕事や任務の奴隷であってはなりません。神がそうであるように兄弟姉妹たちの必要を満たすためにはいつでもいかなる場所でも人々に仕える用意をし、自分の時間割さえも準備が出来ていなければなりません。神はいかなる場合のもその柔和な態度を失いません。

助祭たちは人々に仕え者、奉仕者、いつもどこでも喜んで心を開き、柔和を保ちます。それはイエスが先ず第一にそうであったからです。師であるイエスと異なる態度を取ってはなりません。助祭の召命、いや願望はこれでなければなりません。 全ての人々のしもべ、予期しないことを求めてくる兄弟姉妹たちにもいつも心を開いて受け入れ入れ、時間割に縛られ、がんじがらめになっているような官僚的な対応を決してしないこと。

教会において「最初の助祭、すなわち全ての人々に仕える奉仕者」はキリストご自身だったと古代の教父たちは言っていました。使徒パウロ自身、ガラティアの教会に宛てた手紙の中で自分は使徒であると同時に奉仕者であると自己紹介しています。神のみことばの使徒であることと奉仕者であることは一枚のメダルの裏表のようなものです。なぜならイエスを告げ知らせる者は仕える者であり、仕える者はイエスを告げ知らせるからです。

イエスの弟子たちは師であるイエスと異なる道を歩むことは出来ません。イエスを告げ知らせたければ使徒聖パウロがしたようにイエスに倣わなければなりません。心から人々に仕える者となることを望むのです。洗礼によって全てのキリスト者は福音宣教に使徒として召されているなら、人々に奉仕すること、仕えることこそイエスの真の弟子となるための唯一の手段と言えましょう。疲れをしらずに兄弟姉妹に仕える者は自分自身の生活をもって謙遜で柔和なキリストを証ししましょう」。

助祭たちの聖年ミサの後引き続き教皇フランシスコは聖母マリアへ「アンジェラス」の祈りを信者たちとともに唱えられ、その際特にシリアの難民施設で厳しい生活を強いられている多くの子供たちのことを想起し、彼らのために祈るとともに可能な限りの援助を惜しまないようにと呼びかけられた。

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[小郡]「キリストの聖体」説教(2016.5.29.)音声

小郡教会での11時からの「キリストの聖体」ミサ説教。[10分][小郡]2016.5.29.キリストの聖体をクリックして聴くことができます。

《福音朗読》ルカ9・11b-17 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

貧しい者どうし、わずかなものでも分けあえば、当座はしのげる

 [そのとき、イエスは民衆に]神の国について話してやり、手当てが必要な人たちを、いやしていた。/日が傾きはじめた。十二弟子はイエスのそばに来て、言った。「民衆を解散させてください。自分たちで近くの村や里に行き、寝場所をだんどりして、食べものを見つけるでしょう。ここは、荒れ野です」。イエスは弟子たちに言った。「この人たちが食べれるように、あなたたちがしてやりなさい」。すると、弟子たちが言った。「ここにあるのは、パン五つと干し魚二匹だけです。まさか、この人たち全員のために、われわれが食べものを買ってくるわけにはいきません」。五千人くらいはいたからである。イエスは弟子たちに言った。「五十人くらいずつまとまって、座るようにさせなさい」。弟子たちはそのようにみんなを座らせた。そこで、イエスは五つのパンと二匹の干し魚を手に取り、天をあおいで賛美をささげ、それを裂いて弟子たちにわたし、民衆に配らせた。みんなが食べて、満足した。裂いたパンののこりが、かご十二はい分あった。

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[鳥栖]「キリストの聖体」説教(2016.5.29.)音声

鳥栖教会での8時30分からの「キリストの聖体」ミサ説教。[11分][鳥栖]2016.5.29.キリストの聖体「初聖体式をクリックして聴くことができます。5人の子どもたちが初めてご聖体のイエスさまをお迎えしました(初聖体式)。」

《福音朗読》ルカ9・11b-17 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

貧しい者どうし、わずかなものでも分けあえば、当座はしのげる

 [そのとき、イエスは民衆に]神の国について話してやり、手当てが必要な人たちを、いやしていた。/日が傾きはじめた。十二弟子はイエスのそばに来て、言った。「民衆を解散させてください。自分たちで近くの村や里に行き、寝場所をだんどりして、食べものを見つけるでしょう。ここは、荒れ野です」。イエスは弟子たちに言った。「この人たちが食べれるように、あなたたちがしてやりなさい」。すると、弟子たちが言った。「ここにあるのは、パン五つと干し魚二匹だけです。まさか、この人たち全員のために、われわれが食べものを買ってくるわけにはいきません」。五千人くらいはいたからである。イエスは弟子たちに言った。「五十人くらいずつまとまって、座るようにさせなさい」。弟子たちはそのようにみんなを座らせた。そこで、イエスは五つのパンと二匹の干し魚を手に取り、天をあおいで賛美をささげ、それを裂いて弟子たちにわたし、民衆に配らせた。みんなが食べて、満足した。裂いたパンののこりが、かご十二はい分あった。

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[小郡]「キリストの聖体」前晩説教(2016.5.28.)音声

小郡教会での19時30分からの「キリストの聖体」前晩ミサ説教。[17分][小郡]2016.5.28.キリストの聖体前晩をクリックして聴くことができます。

《福音朗読》ルカ9・11b-17 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

貧しい者どうし、わずかなものでも分けあえば、当座はしのげる

 [そのとき、イエスは民衆に]神の国について話してやり、手当てが必要な人たちを、いやしていた。/日が傾きはじめた。十二弟子はイエスのそばに来て、言った。「民衆を解散させてください。自分たちで近くの村や里に行き、寝場所をだんどりして、食べものを見つけるでしょう。ここは、荒れ野です」。イエスは弟子たちに言った。「この人たちが食べれるように、あなたたちがしてやりなさい」。すると、弟子たちが言った。「ここにあるのは、パン五つと干し魚二匹だけです。まさか、この人たち全員のために、われわれが食べものを買ってくるわけにはいきません」。五千人くらいはいたからである。イエスは弟子たちに言った。「五十人くらいずつまとまって、座るようにさせなさい」。弟子たちはそのようにみんなを座らせた。そこで、イエスは五つのパンと二匹の干し魚を手に取り、天をあおいで賛美をささげ、それを裂いて弟子たちにわたし、民衆に配らせた。みんなが食べて、満足した。裂いたパンののこりが、かご十二はい分あった。

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キリストの聖体:教皇、ローマ市内でミサと聖体行列

2016年5月27日バチカン放送日本語課の記事より

キリストの聖体:教皇、ローマ市内でミサと聖体行列

カトリック教会の典礼暦は、5月26日、キリストの聖体(コルプス・ドミニ)を祝った。

コルプス・ドミニの祭日は、「パンとぶどう酒の形色の下に復活して今も生きるイエス・キリストの現存」を称え、「聖体拝領において信者の霊的食物として与えられるキリストの御体と御血」を賛美する日。三位一体の主日の直後の木曜日に祝われるが、日本を含む多くの国では、3日後の日曜日に記念される。

この日の伝統行事として、教皇フランシスコは、ミサと、聖体行列、そして聖体降福式をとり行われた。

夕方から、教皇はローマの司教座大聖堂、聖ヨハネ大聖堂前の広場でミサを司式された。

説教で教皇は、イエスが最後の晩餐でパンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われたことを思い起こされた。

そして、イエスがご自分の体と血を捧げることを通して制定したこの動作が、「わたしの記念としてこのように行いなさい」とイエスが命じたとおりに、今日までわたしたちに伝えられてきたことを深く観想するよう招かれた。

「イエスは自分を裂かれました。イエスはわたしたちのために自らを裂かれたのです。イエスはわたしたちにも、自分を裂いて、他人に与えるようにと言っています」と教皇は述べ、パンを裂くこと、自分を与えることが、キリストとキリスト者のしるしなのであると説かれた。

ミサに続いて、聖ヨハネ大聖堂から聖マリア大聖堂に向けて、聖体行列が行われた。

二つの大聖堂を結ぶメルラーナ街道を、十字架を先頭に、伝統衣装をつけた信心会の人々や、修道者、司祭、助祭、司教、枢機卿らが歩み、天蓋をかけた車上の聖体顕示台の後ろを、教皇とミサ奉仕者、信者たちが続いた。

大勢の参加者らはろうそくを手に、聖歌を歌いながら、エスクリーノの丘にある聖マリア大聖堂を目指してなだらかな坂道を上がっていった。

行列によって到着した聖体は、聖マリア大聖堂前に設けられた祭壇上に安置され、ここで教皇による聖体降福式が行われた。

教皇と参加者らは聖体を前に祈り、聖体の賛歌「タントゥム・エルゴ」に声を合わせた後、教皇は聖体顕示台を掲げながら会衆を祝福された。

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カポヴィッラ枢機卿逝去、聖ヨハネ23世の秘書

2016年5月27日バチカン放送日本語課の記事より

カポヴィッラ枢機卿逝去、聖ヨハネ23世の秘書

教皇聖ヨハネ23世の特別秘書を務めたロリス・フランチェスコ・カポヴィッラ枢機卿は、5月26日、入院先のイタリア・ベルガモの病院で、100歳で逝去した。

カポヴィッラ枢機卿は、1915年、北イタリア・パドヴァ近郊に生まれた。

1940年、ベネチアで司祭叙階。同総大司教区で小教区をはじめ、学生・労働者・受刑者・病者らの司牧に当たった。

ラジオを通しての説教を続けながら、1950年、イタリアのジャーナリストの国家資格取得。教区新聞の編集長を務めたほか、カトリック系全国紙「アヴェニーレ・ディタリア」のベネチア版を編集した。

1953年から1958年の間、ベネチア総大司教、アンジェロ・ロンカッリ枢機卿の秘書となった。

1958年10月28日、ロンカッリ枢機卿がローマ教皇に選出され、ヨハネ23世となったことにより、共にローマに赴き、1963年6月の同教皇の逝去まで、特別秘書を務めた。第2バチカン公会議の召集・開会をはじめ、ヨハネ23世の在位中のあらゆる出来事の証人となり、同教皇と喜びと苦しみを共にした。

ヨハネ23世帰天後、後任のパウロ6世によって、公会議の顧問に任命される。1967年、キエティ=ヴァスト大司教。1971年、ロレート巡礼聖堂における教皇代理となった。

1988年に引退後、ヨハネ23世の故郷、ベルガモのソット・イル・モンテに居住。同教皇の著作や資料の整理・保存に奉仕し、同教皇の「魂の日記」や、書簡集等の編集に尽力。また自らの数多くの著作を通し、ヨハネ23世の生涯を世に広く紹介した。

2014年2月、教皇フランシスコによって枢機卿に任命された。バチカンで行われた叙任式には高齢のため出席できなかったが、教皇特使としてベルガモに派遣されたアンジェロ・ソダノ主席枢機卿から、枢機卿を象徴するベレッタ(帽子)と指輪を受け取った。

カポヴィッラ枢機卿の訃報に接し、教皇フランシスコは、ベルガモ教区関係者と同枢機卿の遺族、友人らに宛て弔電をおくられた。

この中で教皇は、カポヴィッラ枢機卿の福音を喜びをもって証しし、教会に奉仕した長く豊かな生涯を思いおこされた。

教皇は、特にカポヴィッラ枢機卿が聖ヨハネ23世に注意深い愛情をもって奉仕し、同教皇の記憶を情熱をもって守り、伝えたことを強調。

キエティ=ヴァスト大司教区とロレートでの司牧的献身、第2バチカン公会議における羅針盤としての役割に言及した。

教皇はカポヴィッラ枢機卿の永遠の安息を心から祈られた。

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権威は仕えるために[2016.5.28.オミリア]

《年間第8土曜日のオミリア》人は権威をもちたがるし、権威に頼る。真の権威は仕えるためにある。*オミリア(み言葉を基にした短いお話し)と共に聖書の言葉やミサで使われる「言葉」を紹介しています。時間のある時にゆっくりと「言葉」を味わうことをお勧めします。読む方へのメッセージに気づくことができると思います。

基山教会の聖堂で行われたミサのオミリア[7分][基山]2016.5.28.←をクリックして聴くことができます。

《福音朗読》マルコ11・27-33 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

神の側、貧しい人々の側に立つイエスの権威(けんい)

 [そのとき、イエスと弟子たちは]また、エルサレムにやって来た。イエスが神殿内を歩いていると、大祭司、律法学者、長老たちが来て、イエスに言った。「なんの権威をもって、このようなことをするのか。そういう権威を、だれがおまえに与えたのか」。イエスはかれらに言った。「一つ、あなたたちにたずねよう。答えなさい。そうしたら、なんの権威をもってわたしがこういうことをするか、あなたたちに言おう。ヨハネが行なった『沈めの式』は、天からのものだったか、それとも人から出たものだったのか。答えなさい」。かれらは互いに言い合った。「もし、『天からのもの』と言えば、『それなら、なぜヨハネを信頼してあゆまなかったのか』と言うだろう。反対に、『人から出たもの』とこたえたら…」。かれらは民衆を恐れていた。みんなはヨハネを預言者だと思いこんでいたからである。そこで、かれらはイエスに、「われわれには分からない」と答えた。すると、イエスはかれらに言った。「わたしも、なんの権威をもってこういうことをするか、あなたたちに言うまい」。

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2016.5.28.〜6.12.)

*6月19日(日)の小郡教会での11時からのミサは幼稚園行事のためにありません。前晩18日(土)19時30分のミサか、鳥栖教会での19日(日)11時[Fr.ピアッチーニ司式]のミサにご参加ください。

鳥栖・小郡ミサ時間と場所2016.5.28.〜6.12.

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信頼してあゆみを起こす[2016.5.27.オミリア]

《年間第8金曜日のオミリア》「信仰」とは、「信じる」とは、神に信頼して歩みを起こすこと。じっとして拝むことではない。一歩を踏み出す。行動を起こす。そこから「奇跡」が始まる。*オミリア(み言葉を基にした短いお話し)と共に聖書の言葉やミサで使われる「言葉」を紹介しています。時間のある時にゆっくりと「言葉」を味わうことをお勧めします。読む方へのメッセージに気づくことができると思います。

聖クララ会の聖堂で行われたミサのオミリア[9分][聖クララ会]2016.5.27.←をクリックして聴くことができます。

《福音朗読》マルコ11・11-26 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

葉ばかりで実のない神殿のありようを、いちじくの木にかさねて、怒る

 [おおぜいの人たちの歓呼の声とともに]イエスはエルサレムに入り、神殿まで行って、つぶさに見わたしたあと、すでに夕刻となっていたので、そこを出て、十二人といっしょにベタニアに行った。/あくる日、一行はベタニアを出てきたが、イエスは腹をすかせていた。イエスは遠くから葉のしげったいちじくの木を見つけ、実がなっていないかと行ってみた。木のそばまで来たが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスは木に向かって、「今からのち、いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように」と言った。弟子たちはこれを聞いていた。

貧しい人たちを苦しめる供えもののしきたりを、怒りをもって打ちこわす

 そして、一行はエルサレムに着いた。イエスは神殿に入るや、神殿内で商(あきな)いをしている人、買いあさっている人たちを追い出し、両替人たちの机や、鳩を売る人たちの腰かけをひっくりかえした。そして、神殿内を商いの品をもち運ぶこともゆるさなかった。イエスはその人たちに真実をときあかして、「聖書には、『わたしの家は、すべての民のための祈りの家と呼ばれる』と書かれているではないか。ところが、あなたたちはそれを追いはぎどものたまり場にした」と言った。大祭司と律法学者たちはこれを聞いて、どうやってイエスを亡き者にするか、模索(もさく)しだした。民衆がみな、イエスのときあかしに心を打たれていたので、かれらはイエスを恐れていた。夕刻になると、一行は町のそとへ出て行った。

貧しい人たちの祈りは、信頼して行動を起こすかぎり、実現する

 つぎの日の明け方、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根もとからしおれているのを見た。昨日のことを心に刻んでいたペトロがイエスに、「導師、あなたが呪(のろ)ったいちじくの木がしおれています」と言った。すると、イエスは弟子たちに言った。「神を信頼してあゆみを起こしなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に、『そこをどいて、湖のなかに移れ』と言い、あれこれ心で惑(まど)わずに、言うとおりになると信頼をもって行動を起こせば、それは実現する。だから、言っておく。あなたたちが祈り求めることはすべて、すでに得たものと信頼して行動を起こせば、それは実現するのだ」。「あなたたちが立って祈るとき、仲間のだれかに何かうらみに思うことがあったなら、ゆるしなさい。そうすれば、天の父もあなたたちのあやまちをゆるしてくださる」。[26…なし]

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