月別アーカイブ: 2016年9月

使命を生きる[2016.9.29.オミリア]

《年間第26木曜日:聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使》聖クララ会聖堂で行われたミサのオミリア[7分][クララ会]2016.9.29.←をクリックして聴くことができます。

《集会祈願》いつくしみ深い神よ、あなたは限りない英知をもって天使と人間にそれぞれ使命をお与えになりました。あなたに仕える天使の助けによって、わたしたちもゆだねられた使命を果たすことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

***平日ミサのオミリアは今後も紹介していきますが、ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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イエスについていく…その前に…?[2016.9.28.オミリア]

《年間第26水曜日:聖トマス西と十五殉教者》聖クララ会聖堂で行われたミサのオミリア[5分][クララ会]2016.9.28←をクリックして聴くことができます。

 きょう記念される聖人は、いずれもキリシタンへの迫害が剥げいs買った1633年から1637年にかけて長崎で殉教した人たちである。16名はドミニコ会の司祭、修道者、修道女と彼らのために働いた信徒たちで、9名の日本人のほかに、スペイン人、イタリア人、フランス人、フィリピン人が含まれている。彼らは1987年に列聖された。(『毎日の読書』より)

***平日ミサのオミリアは今後も紹介していきますが、ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「自分のためだけに生きる者は歴史を作れない」教皇、カテキスタたちに

2016年9月26日バチカン放送日本語課の記事より。

「自分のためだけに生きる者は歴史を作れない」教皇、カテキスタたちに

「いつくしみの聖年」の公式行事として、9月25日、バチカンで「カテキスタの聖年」が祝われた。

カテキスタとは、カトリック教会の教えの基礎となるもの(要理)の教育に携わる人。

9月23日(金)から始まったカテキスタを対象とした聖年行事で、世界中から集った参加者らはローマ市内の各教会での祈りや観想、バチカンの聖ペトロ大聖堂の聖年の扉に向かう巡礼などを行なった。

25日(日)、カテキスタたちは、教皇フランシスコが司式するミサに参列した。

ミサの説教で、教皇はカテキスタらに、信仰の基本を伝える上で、「主は復活された」という教えを第一に据えるよう、その努力を惜しまないで欲しいと願われた。

主の復活ほど、重要、堅固で、生きた教えはないと教皇は強調。この中心的教えに結ばれているならば、信仰のあらゆる内容は素晴らしいものとなるが、この教えと離れるならば、それらは意味と力を失ってしまうと話された。

わたしたちは常に主の愛の知らせを生き、それを告げるように招かれていると述べた教皇は、それは「イエスはそのままのあなたを愛される」「主の愛はあなたを決して失望させない」という知らせであると説かれた。

「主は概念ではなく、生きたお方であり、そのメッセージは真実で単純な証し、対話や受け入れの態度を通して伝えられる」「希望の神を伝えるには、今日ここで愛の福音を実際に生きること」と、教皇はこのように述べられた。

教皇はこの日のミサの福音朗読箇所、ルカ福音書の「金持ちとラザロ」のたとえ(16,19-31 )を観想。

このたとえ話の中の金持ちは、彼の家の門前に横たわるラザロという貧しい人を気にすることすらなかった。教皇は、この金持ちは悪い人だったわけではないが、彼の問題は世の虚飾によって魂を無力化され、宴会やぜいたくな衣の先にある世界、ラザロがいる扉の外の世界を見ることができなかったことにあると指摘された。

これに対して、主は世間から見捨てられ、疎外された人をご覧になると教皇は述べ、イエスのすべてのたとえの登場人物の中で、唯一名前で呼ばれる「ラザロ」は、「神はお助けになる」という意味を持っていると説明された。

「神は貧しいラザロを忘れることはなく、死後のラザロをアブラハムと共に天の御国の宴席に迎えたが、一方でこの金持ちは名前さえ持たず、その人生は忘れられてしまった。なぜなら自分のためだけに生きる者は歴史を作れないからである」と教皇は話された。

「イエスの希望を告げる者は、喜びを帯び、遠くを見る人である。なぜなら彼は悪や問題を越えたその先を見つめることができるからである。同時にその人は近くをよく見ることができる人である。なぜなら隣人の必要とするものに注意を払うことができるからである」

このように述べた教皇は、主の招きに応え、わたしたちが出会う多くのラザロたちを助けに行こうと、カテキスタたちに呼びかけられた。

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[鳥栖]2016.9.25.年間26主日説教(音声)

小郡教会11時からの年間第26主日ミサの説教[11分]

←ここから聞けます。

鳥栖教会では「敬老の日」を祝いました。

***主日ミサの説教は今後も紹介していきますが、ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]2016.9.25.年間26主日説教(音声)

小郡教会8時30分からの年間第26主日ミサの説教[16分][小郡]2016.9.25.年間26←ここから聞けます。

主日のミサで用いられる「聖書と典礼」の使い方説明を含めた説教。長くなりました。

***主日ミサの説教は今後も紹介していきますが、ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]2016.9.24.年間26主日前晩説教(音声)

小郡教会19時30分からの年間第26主日前晩ミサの説教[22分][小郡]2016.9.24.年間26.前晩←ここから聞けます。

主日のミサで用いられる「聖書と典礼」の使い方説明を含めた説教。長くなりました。

***主日ミサの説教は今後も紹介していきますが、ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「赦し、与え、御父のようにいつくしみ深く」教皇一般謁見

2016年9月21日バチカン放送日本語課の記事より。

「赦し、与え、御父のようにいつくしみ深く」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、バチカンで9月21日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「あなたがたの父がいつくしみ深いように、あなたがたもいつくしみ深い者となりなさい」(ルカ6, 36)というイエスの言葉を取り上げられた。

「御父のようにいつくしみ深く」というイエスのこの教えは、現在開催中の「いつくしみの特別聖年」のテーマでもある。教皇はこの言葉を、一時的なスローガンではなく、「一生の課題」として信者らに示された。

では「いつくしみ深い者」になるにはどうしたらよいのかと問う教皇は、そのためには、イエスご自身が教えられたように、「赦す」(ルカ6, 37)、そして「与える」(同6,38)ことが必要であると話された。

いつくしみは、特に「赦し」において表現されると述べた教皇は、「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(同6,38)というイエスの言葉を引用。

イエスは人間の法の秩序を覆すことを意図しないが、兄弟的関係を築くには、人を裁き、決め付けることをやめるようにと弟子たちに教えていると説明された。

赦しの中にわたしたちを最初に愛された神の愛の無償性を見ることができる、と教皇は指摘。それゆえに、赦しはキリスト教共同体の生活を支える基礎となっていると話された。

また、わたしたちの誰一人、人生の中で神の赦しを必要としなかった人はいないと教皇は述べ、わたしたちは赦されたがゆえに、赦さなくてはならないと説かれた。

過ちを犯した兄弟を罪に定めることは正しくない、それは罪を認めたくないからではなく、人を罪に定めることが兄弟愛の絆を壊し、ご自分の子を一人も諦めない神のいつくしみを軽んじることになるからであると教皇は述べられた。

いつくしみ深くあるために必要なこととして、教皇はさらに「与える」ことの大切さを強調。

「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。…あなたがたは、自分の量る秤で量り返されるからである」というイエスの教えを示された。

いつくしみの愛こそが唯一のたどるべき道と話す教皇は、「いつくしみと赦しによって、心は愛のうちに広げられるが、エゴイズムや怒りは、心を小さく、石のように硬くしてしまう。石の心を選ぶか、愛にあふれた心を選ぶか。愛にあふれた心を選ぶならば、皆さんはいつくしみ深い者となれるでしょう」と話された。

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教皇フランシスコの一般謁見演説(2016.9.7.)公式訳

9月7日の謁見のメッセージの公式訳です。特別聖年に関する連続講話。第28回。「いつくしみによる救い」(マタイ11・2-6参照)。カトリック中央協議会ホームページから。*カトリック中央協議会広報部から(文字を拡大し、読みがなを付けることを含めて)転載の許可を得ています。

*ここをクリックしてpdf.ファイルで読む(印刷する)ことができます。

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