月別アーカイブ: 2017年2月

[鳥栖]「年間第8主日」ミサ説教(2017.2.26.)

鳥栖教会11時からの「年間第8主日」の説教

「…何よりもまず、神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

鳥栖教会の説教では先日購入した65インチのテレビをインターネットに接続して、教皇の二つのメッセージを見聞きしました。

二つのメッセージを観る前の導入の言葉(2分)

フランシスコ教皇ビデオメッセージ1(2016.2.)1分20秒

フランシスコ教皇ビデオメッセージ2(2017.2.)1分10秒

 

説教の後半(4分)[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

教皇、ローマ市内の英国国教会共同体を訪問

2017年2月27日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、ローマ市内の英国国教会共同体を訪問

教皇フランシスコは、2月26日、ローマ市内の英国国教会共同体を訪問された。

この日の午後、教皇が訪れたのは、ローマの繁華街スペイン広場とポポロ広場の間にある、「オール・セインツ教会」。

ネオ・ゴシック様式の同教会は、ローマの英国国教会の信者たちのために19世紀に建てられた。

今年はローマに英国国教会の共同体が創立されてから200年、英国国教会とカトリック教会のエキュメニカル対話が開始されてから50年にあたる。

教皇フランシスコの訪問は、これらを機会とし、同共同体から招待を受けて行われた。ローマ教皇がローマ市内の英国国教会の共同体を訪れるのは今回が初めてのこと。

オール・セインツ教会に到着した教皇は、ロバート・イネス主教をはじめ、大勢の信者たちに迎えられた。

教皇は夕の礼拝に参加され、この中でローマの英国国教会共同体創立200年を記念して作られた「救い主キリスト」の新しいイコンを祝別された。

同教会の信者らへの挨拶で教皇は、カトリック教会と英国国教会が過去の不信や対立を乗り越え、今、神の恵みを通して、キリストにおける兄弟姉妹として認め合えるようになったと述べ、これからも両教会が、友として、巡礼者として、イエス・キリストに従い共に歩んで行くことを希望された。

教皇は、謙虚であること、自分たちが神のいつくしみを必要とする者であると自覚することが、今日のエキュメニカルな歩みにおいて重要であり、それが神の業によることを忘れないよう呼びかけられた。

そして、カトリック教会と英国国教会が共に愛徳の業を通し、いつくしみ深い神の御顔を目に見えるものとしながら、この歩みを続けていけるようにと願われた。

教皇の訪問を機会に、ローマのカンポ・マルツィオ地区のこの英国国教会「オール・セインツ教会」と、アッピア・ヌオーバ地区にあるカトリックの「オンニ・サンティ教会」は姉妹関係を締結。共に「諸聖人」に捧げられたこの2教会は、慈善の業などにおける協力を通して、交流を深めることになった。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

「すべてに配慮される神の眼差しに信頼する」教皇、日曜正午の集いで

2017年2月26日バチカン放送日本語課の記事より。

「すべてに配慮される神の眼差しに信頼する」教皇、日曜正午の集いで

教皇フランシスコは、バチカンで2月26日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

祈りの前に、教皇はこの日のミサ中の福音朗読箇所、マタイ福音書6章24-34節をテーマに、説教を行われた。

イエスはこの箇所で、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(同25)と言い、神への信頼へと招いている。

そして、「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(同26)、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」(同28‐30)と、自然を生きるすべてのものに配慮される神の愛を思いこさせている。

教皇は、すべての生き物に食べ物を与え、野の花を装う神の計らいに見られるように、わたしたちの毎日の生活もまた、神の恵み深く、配慮にあふれた眼差しに見守られていると話された。

多くの心配事に、心の平安やバランスを失うほどの苦悩を抱えることがあるが、苦しんだところで状況を変えることができなければ、こうした苦悩はしばしば無駄なものであると、教皇は指摘。

「イエスはこれに対し、明日のことまで思い悩むなと言い、子らを決して忘れることのない、愛にあふれる御父の存在を思い起こさせ、御父に信頼するよう呼びかけている」、「神は魔法のように問題を解決しないが、わたしたちがその問題に勇気をもって向き合えるようにしてくださる」とこのように話された。

教皇は「神は、遠くにいる名も無い存在ではなく、わたしたちの拠り所、平安と平和の源、救いの岩、常に襲い掛かる悪からわたしたちを守ってくれる方」と強調。

「神が偉大な友、味方、父であることに、わたしたちはいつも気づいているわけではなく、むしろ、わたしたちはすぐに触れることのできる手軽なもの、偶発的なものに頼ることを好み、神の父なる愛という、最高の財産を拒みさえしている」、「この寄る辺ない時代にあって、御父の存在を感じることができるのは、非常に大切なこと」と説かれた。

何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと、悩み多い虚しい追求が不幸の源であることをイエスは教えると述べつつ、教皇はこれに対して「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(同上33)、また「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(同上24)というイエスが弟子たちに説いた言葉を、生きる上での本質として示された。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]「年間第8主日」前晩ミサ説教(2017.2.25.)

小郡教会19時30分からの「年間第8主日」前晩の説教[7分]。

「…何よりもまず、神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

「わたしのため、福音のために」[2017.2.28.オミリア]

《年間第8火曜日》聖クララ会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[11分]を聴くことができます。明日は「灰の水曜日」。明日から四旬節が始まります。ミサは修道院で6時30分、鳥栖で10時30分、小郡で19時30分から「灰の式」とともに行われます。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

《…イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。…」

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2017.2.25.〜3.12.)

主日のミサ時間は1月から3月まで小郡教会8時30分〜、鳥栖教会11時〜です。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

「灰の水曜日」のミサは朝6時30分から修道院でも行われます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院でしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。

★第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。

★第一金曜日は修道院での朝ミサはなく、夜7時から小郡教会聖堂で初金信心のミサが行われています。

 

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

邪魔してはいけない[2017.2.25.オミリア]

《年間第7土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[10分]を聴くことができます。

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

《イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れてきた。弟子たちはこの人人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。…

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

教皇、アルゼンチンのユダヤ教の使節団とお会いに

2017年2月23日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、アルゼンチンのユダヤ教の使節団とお会いに

教皇フランシスコは、2月23日、アルゼンチンのユダヤ教の使節団とお会いになった。

この日バチカンを訪れたのは、ブエノスアイレスのラビで教皇の友人でもある、アブラハム・スコルカ師をはじめ、ユダヤ教系出版関係者らからなる使節。

使節より、ユダヤ教のトーラー(モーセ五書)の新版を贈られた教皇は、「主の贈り物、啓示、御言葉」であるトーラーのもとに行われたこの出会いに深い感謝を表された。

トーラーは、神の父としての本能的な愛、言葉と具体的な態度によって契約という形となった愛を表すものであり、その契約という豊かな言葉の響きをわたしたちは共有していると教皇は話された。

ユダヤ教とキリスト教間の兄弟的対話は、比較と協力を経ながら、今や実質的で確かなものとなったと述べた教皇は、導入や注釈、図版を加えた新版のトーラーを、相互理解と平和を願う開かれた文化的ビジョンを強調するものとして喜ばれた。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

だれの側につこうとしているのか[2017.2.24.オミリア]

《年間第7金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6:30から行われたミサのオミリア[12分]を聴くことができます。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

《…群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。…

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

「被造物のうめき、心のうめきを聞き、神の癒しを望む」教皇一般謁見

2017年2月22日バチカン放送日本語課の記事より。

「被造物のうめき、心のうめきを聞き、神の癒しを望む」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、バチカンで2月22日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

2月下旬に入り、ローマは比較的暖かい天候が続いている。このため、これまでパウロ6世ホールで開催されていた一般謁見も、この日は聖ペトロ広場で行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「キリスト教的希望」の考察として、使徒聖パウロの「ローマの信徒への手紙」(8,19-27)を取り上げられた。

「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に生みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、”霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマ8,22-23)

教皇は、人間は被造物を自分たちの所有物のように考え、好き勝手に利用できると考えがちであると指摘。

しかし、聖パウロは「ローマの信徒への手紙」の中で、被造物は神との関係を深め、神の愛の計画の刻印を認め、その計画の実現に協力するためにわたしたちの手に委ねられた、素晴らしい賜物であること思い出させていると話された。

人間は利己的になる時、神から託された最も素晴らしい物事さえも破壊してしまうが、自然についても同じことが言えると教皇は述べられた。

「罪の悲劇的な体験、神との交わりをめぐる闘いによって、人間は自分たちを取り囲むすべてのものとの本来あるべき交わりさえも壊してしまった」

「わたしたちは自然を破壊し、隷属させようとしたが、これらが招いた結果は今日わたしたちが目にするところである」

と、教皇はこのように警告された。

このような悲惨な状況においても、神はわたしたちを見捨てず、新たな解放、普遍の救いの方向性を示してくださると教皇は強調。

それは聖パウロが記すように、わたしたち自身の心のうめきを聞くと共に、被造物すべてのうめきを聞き、そこに苦しみだけでなく、新しい生命の光を見出すことであり、そこにわたしたちの希望があると説かれた。

「キリスト者は現実を生きながら、生活や、自分を取り巻くものの中に、悪やエゴイズムや罪のしるしを見出すことができ、また苦しむ人、泣く人、疎外された人、絶望した人に寄り添うことができる」

「しかし、キリスト者はそれと同時に、すべての物事を復活のキリストの眼差しで見つめ、現在の彼方にある、完成されるべき『時』を待ち望みながら生きることができる」

教皇はこのように述べつつ、「主はそのいつくしみをもって、人の傷ついた心と、人間が不信仰によって破壊したすべてのものを完全に癒し、それを通して、愛の中に和解した新しい世界と人類を再生される」ことを希望のうちに知るように招かれた。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]