2017年2月22日バチカン放送日本語課の記事より。
「被造物のうめき、心のうめきを聞き、神の癒しを望む」教皇一般謁見
教皇フランシスコは、バチカンで2月22日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
2月下旬に入り、ローマは比較的暖かい天候が続いている。このため、これまでパウロ6世ホールで開催されていた一般謁見も、この日は聖ペトロ広場で行われた。
謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「キリスト教的希望」の考察として、使徒聖パウロの「ローマの信徒への手紙」(8,19-27)を取り上げられた。
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に生みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、”霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマ8,22-23)
教皇は、人間は被造物を自分たちの所有物のように考え、好き勝手に利用できると考えがちであると指摘。
しかし、聖パウロは「ローマの信徒への手紙」の中で、被造物は神との関係を深め、神の愛の計画の刻印を認め、その計画の実現に協力するためにわたしたちの手に委ねられた、素晴らしい賜物であること思い出させていると話された。
人間は利己的になる時、神から託された最も素晴らしい物事さえも破壊してしまうが、自然についても同じことが言えると教皇は述べられた。
「罪の悲劇的な体験、神との交わりをめぐる闘いによって、人間は自分たちを取り囲むすべてのものとの本来あるべき交わりさえも壊してしまった」
「わたしたちは自然を破壊し、隷属させようとしたが、これらが招いた結果は今日わたしたちが目にするところである」
と、教皇はこのように警告された。
このような悲惨な状況においても、神はわたしたちを見捨てず、新たな解放、普遍の救いの方向性を示してくださると教皇は強調。
それは聖パウロが記すように、わたしたち自身の心のうめきを聞くと共に、被造物すべてのうめきを聞き、そこに苦しみだけでなく、新しい生命の光を見出すことであり、そこにわたしたちの希望があると説かれた。
「キリスト者は現実を生きながら、生活や、自分を取り巻くものの中に、悪やエゴイズムや罪のしるしを見出すことができ、また苦しむ人、泣く人、疎外された人、絶望した人に寄り添うことができる」
「しかし、キリスト者はそれと同時に、すべての物事を復活のキリストの眼差しで見つめ、現在の彼方にある、完成されるべき『時』を待ち望みながら生きることができる」
教皇はこのように述べつつ、「主はそのいつくしみをもって、人の傷ついた心と、人間が不信仰によって破壊したすべてのものを完全に癒し、それを通して、愛の中に和解した新しい世界と人類を再生される」ことを希望のうちに知るように招かれた。