月別アーカイブ: 2017年4月

[小郡]「復活節第3主日」ミサ説教(2017.4.30.)

小郡教会8時30分からの「復活節第3主日」のミサ説教[10分]。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

…一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。…(ルカ福音書24)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「心を復活の主の光に開こう」教皇、エジプトのカトリック信者たちとミサ

2017年4月29日バチカン放送日本語課の記事より。

「心を復活の主の光に開こう」教皇、エジプトのカトリック信者たちとミサ

教皇フランシスコは、4月29日、訪問先のエジプトで、カトリック信者たちとミサを捧げられた。

教皇は4月28日と29日の両日、政府や宗教関係者らの招きで、エジプトの首都カイロを訪れていた。

エジプトは人口の大部分がイスラム教徒であるが、およそ10%をコプト正教会の信者が、そして約0.31%をカトリック信者が占めている。

同国におけるキリスト教の歴史は非常に古く、伝承によれば、使徒聖マルコがこの地にキリスト教を伝え、アレクサンドリアの初代総主教となった。

エジプトのカトリック教会は、コプト典礼を中心に、アルメニア典礼、ラテン典礼、メルキト・ギリシャ典礼、カルデア典礼、マロン典礼、シリア典礼の、7つの共同体からなる。

教皇ミサは、厳戒態勢の中、カイロ市内の空軍の競技場で行われたが、エジプトのカトリック信者たちの教皇訪問に対する喜びは大きく、前日夜から会場に向かう参加者たちの列が続いた。

ミサの説教で教皇は、十字架から復活の真理に至るまでの経験を得ない者は、容易に絶望に陥ってしまうと述べ、神と出会うためには、まず自分が神に対して持っている限られたイメージを十字架につける必要があると話された。

「復活の信仰から教会は生まれ、真の信仰はわたしたちをより愛徳に満ち、いつくしみ深く、正直で、人間的な者とします。その信仰は、対話の文化と、尊重、兄弟愛をわたしたちに守り、体験させるものです」と教皇は語られた。

また、「神に喜ばれる信仰は、その生活を通して宣言される信仰だけです」と述べた教皇は、「信者にとって、唯一過度であっても許されるものは、愛徳だけです。それ以外のすべての過激主義は神から来たものではなく、神はそれを喜ばれません」と説かれた。

「皆さんの心を復活の主の光に開くことを恐れないでください。復活の主に皆さんの不安を自分や他人のための前向きな力に変えていただきましょう。」

「友人も、敵も、すべての人を恐れず愛しましょう。なぜなら生きた愛の経験の中にこそ、キリスト者の力と宝があるからです。」

教皇はこのように話し、エジプトのカトリック信者らを励まされた。

この後、教皇は、カトリック・コプト典礼の神学校で、エジプトの司祭・修道者・神学生らとの出会いを持たれた。

こうして、2日間のエジプト訪問を終了された教皇は、同日夕方カイロを発ち、ローマへの帰途につかれた。

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エジプト訪問:「善を説き、愛徳の業を共にし、暴力に対抗を」教皇、コプト正教会のタワドロス2世と

2017年4月29日バチカン放送日本語課の記事より。

エジプト訪問:「善を説き、愛徳の業を共にし、暴力に対抗を」教皇、コプト正教会のタワドロス2世

教皇フランシスコは、エジプト訪問中の4月28日、コプト正教会の教皇タワドロス2世とお会いになった。

エジプト訪問初日、教皇はアブドゥル・ファタハ・アル・シーシー大統領、カイロのアル=アズハル・モスクのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師らと会見。

続いて、コプト正教会総主教庁に、コプト正教会の第118代教皇、アレクサンドリアおよび聖マルコ大主教管区総主教、タワドロス2世を表敬訪問し、個人会談を行われた。

両教会の合同会見で教皇フランシスコは、殉教者たちの流した無実の血においてキリスト者たちは一致すると強調。善を説き、愛徳の業を共にすることで、暴力に対抗しようと呼びかけられた。

行いや言葉を通したエキュメニズムだけでなく、わたしたちには洗礼に基づく、すでに具体化された交わりがあると教皇は指摘。キリスト者の完全な一致に向けた歩みは常にここから出発すると話された。

特に、教皇はコプト正教会とカトリック教会は「慈愛」という共通の言語を話すことができると述べ、イエスにおける信仰を共にする兄弟姉妹たちが愛徳の業において協力することを望まれた。

教皇はまた、初代教会の時代から今日まで続くキリスト者たちの殉教に言及。悪に悪をもって答えるより殉教を選んだコプト教会の信者たちの証しを思い起こされた。

「天上のエルサレムが一つであるように、わたしたちの殉教録も一つ」「皆さんの苦しみはわたしたちの苦しみであり、彼らの無実の血においてわたしたちは一致する」と述べた教皇は、これらの殉教者の証しに強められ、善を説き広めながら、暴力に反対していかなければならないと語られた。

この後、タワドロス2世と教皇フランシスコの参加のもと、近くの聖ペトロ教会まで宗教行列が行われた。同教会は、昨年12月11日、テロ攻撃を受け、29人が犠牲になった。

教皇は同教会の入口で犠牲者を偲び祈りを捧げられた。

聖堂内で行われたエキュメニカルな祈りの集いには、他のキリスト教諸教会の指導者らも出席し、共に犠牲者のために祈り、平和を希求した。

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[小郡]「復活節第3主日」前晩ミサ説教(2017.4.29.)

小郡教会19時30分からの「復活節第3主日」前晩のミサ説教[8分]。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

…一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。…(ルカ福音書24)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2017.4.29.〜5.14.)

主日のミサ時間は4月〜来年3月まで小郡教会8時30分〜、鳥栖教会11時〜です。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。*鳥栖カトリック幼稚園園舎新築工事のため駐車場が使用できないので。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院でしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。

★第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。

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エジプト訪問:教皇「神の名のもとに暴力の正当化がないように」平和のための国際会議で

2017年4月28日バチカン放送日本語課の記事より。

エジプト訪問:教皇「神の名のもとに暴力の正当化がないように」平和のための国際会議で

4月28日、エジプトを訪問した教皇フランシスコは、カイロ市内のアル=アズハル大学の会議センターで、「平和のための国際会議」に出席された。

カイロのアル=アズハル・モスクのグランド・イマームで同大学総長のアフマド・アル・タイーブ師は、会議冒頭、テロの犠牲者らを思い起こし、参加者らを1分間の黙祷に招いた。

タイーブ総長は、基調講演で世界を苦しめている様々な暴力と紛争を告発し、その原因の一つとして武器取引を挙げた。

同総長は、一部の者がイスラムについて誤った解釈をし、流血の惨事を引き起こしたという理由で、イスラム教はテロリズムの宗教であるということにはならないと述べ、平和や、環境保護のために共に働き、文明の衝突を広げる理論に共に対抗していこうと呼びかけた。

講演の後、タイーブ師は教皇フランシスコと固く抱擁を交わした。

タイーブ師より言葉を引き継いだ教皇は、その講演で、エジプトの古来から続く偉大な文明と豊かな学術の歴史に言及。若い人々に、ふさわしい教育なくしては平和は築けないと話された。

叡智は、他を知ろうとし、自分に閉じこもらず、開かれ、常に動的であると教皇は述べ、謙虚な追求と共に、過去を活かし、現代と対話し、未来を準備するものであると語られた。

また、叡智は、現在の中に出会いと分かち合いの機会を見極め、過去の中に悪からは悪、暴力からは暴力しか生まれないことを学ぶと述べられた。

教皇は、対話の中でも特に宗教間の対話の重要性を強調。皆の未来は宗教・文化の出会いにもかかっているとの確信のもとに、わたしたちは常に共に歩むように招かれていると話した。

さらに、宗教の違いは一つの国家共同体の中で相互の豊かさとなると指摘された。

「暴力は真の宗教を否定するもの」と述べた教皇は、「宗教の名のもと、神の名のもとにいかなる暴力、復讐、憎悪が正当化されることがないよう、強くはっきりとした『ノー』を繰り返しましょう」とアピールされた。

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ローマ法王、「人間よりモノを優先する」現代の文化を批判–TEDの講演で

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170427-35100420-cnetj-sci

CNET Japan 4/27(木) 13:26配信

 ローマ法王が、人間よりもモノを優先する風潮が世界に広がっていることを批判した。カトリック教会の最高指導者であるローマ法王フランシスコは、現地時間4月25日にTEDで講演し、モノだけでなく人間を使い捨てにする「無駄遣いの文化」を終わらせようと呼びかけた。

 ローマ法王はバチカンからの動画中継によって講演し、バンクーバーの会場に集まったハイテク業界の著名人らに対し、「私たちが作り上げた技術と経済のシステムによって見捨てられた」人々のことを忘れないようにしてほしいと語りかけた。こうしたシステムが、「気付かないうちに、人間ではなくモノを中心に据えてしまっている」とローマ法王は指摘した。

 このTEDのイベントは、「The Future You」(未来のあなた)というテーマで開催されたもので、Tesla最高経営責任者(CEO)のElon Musk氏やテニスのSerena Williams選手も講演する。ローマ法王は、希望や人とのつながりの必要性を強調し、移民や気候変動といったテーマを織り交ぜながら、テーマの中でも「あなた」という部分に力点を置いて話した。また、世界の指導者たちに、謙虚さと優しさを忘れないでほしいと呼びかけた。

 「科学の発展や技術革新によって、より平等で共生的な社会が実現すれば、どれほど素晴らしいでしょうか。はるか遠くの惑星を発見する一方で、私たちの身近にいる兄弟姉妹が必要とするものを再発見できれば、どれほど素晴らしいでしょうか」とローマ法王は語りかけた。

 ローマ法王が行ったスピーチ全文は以下より視聴できる。

この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。

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「外へと向かうカトリック・アクションを目指そう」教皇、国際フォーラム参加者に

2017年4月27日バチカン放送日本語課の記事より。

「外へと向かうカトリック・アクションを目指そう」教皇、国際フォーラム参加者に

教皇フランシスコは、4月27日、バチカンで開催されたカトリック・アクション国際フォーラムに参加された。

カトリック・アクションは、1867年にイタリアで創始された教会運動の一つで、教会の聖職者の指導の下に行われる信徒の使徒的活動。

カトリック・アクション国際連盟主催の「すべての人と共に、すべての人のためのミッション」をテーマとしたこのフォーラムには、およそ300人の関係者が出席した。

会議の席上で教皇は、カトリック・アクションにとって「ミッション」は数多くある課題の一つではなく、課題そのものと述べ、その活動が人々のただ中にあり、開かれ、大胆なものであるようにと願われた。

教皇は、カトリック・アクションの全メンバーが、ダイナミックにミッションに参加するように励ましながら、準備や分析ばかりに力を費やす完璧主義の誘惑から脱して、刑務所や、病院、貧しい人々の居住地区など、あらゆる場所、あらゆる郊外で、また、教区や小教区、街や家庭、学校や職場など、すべての人々の間で活動することを希望された。

人々のキリスト教的完璧さを測ることは、偽善的なファリサイ主義に陥る危険があると教皇は注意を促しつつ、「生きたいつくしみ」の必要を会員らに説かれた。

自分の持っているもの、できることから出発し、全員が宣教者の自覚のもと、キリストへの情熱と、人々への情熱に動かされて「外へと向かっていくカトリック・アクション」であって欲しいと呼びかけられた。

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[クララ]あらためて「聖体」を信じる[2017.4.28.オミリア]

《復活節第2金曜日聖クララ会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[12分]を聴くことができます。*短くないオミリアになりました。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

…さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄いならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。…(ヨハネ6章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「神の希望の約束のもとに歩む」教皇一般謁見

2017年4月26日バチカン放送日本語課の記事より。

「神の希望の約束のもとに歩む」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、バチカンで4月26日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで教皇は、「キリスト教的希望」の考察として、マタイ福音書中のイエスの言葉、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28,20)を引用しつつ、「希望を与える約束」をテーマに講話された。

教皇は、わたしたちの神は遠い空の彼方に留まった不在の神ではなく、わたしたちから離れられないほどに、人間を情熱的に愛してくださる神であると強調。

「わたしたち人間は、他人との絆や関わりを断ち切ることができるが、神はそうすることはできない。わたしたちの心が冷めれば冷めるほど、神の心はいっそう燃え立つ」「神は、わたしたちが逆境に遭って、神を忘れている時でも、いつもわたしたちの傍らにおられる」と話された。

わたしたちの存在は一つの「巡礼」「歩み」であり、わたしたちの魂は「旅する魂」であると述べた教皇は、聖書が巡礼と旅のストーリーに満ちていることを指摘。

アブラハムは神の命じるままに、自分の住み慣れた土地を離れ、すべてが常識では考えられない状況の中、あえて旅に出たと教皇は語りつつ、地平の彼方に憧れを感じない人は、成熟した人間になることはできないと話された。

「人間はその歩みの中で、決して孤独ではない」と教皇は述べ、特にキリスト者が自分が見捨てられたように感じないのは、イエスがわたしたちを旅の終点で待っているのではなく、毎日を共にしてくださっていることを知っているからであると説かれた。

神の聖なる民は、希望のうちに「立って、歩く民」であると話す教皇は、「どこに行っても、神の愛が先立っている。復活のキリストの勝利が及ばなかった場所は世界にどこにもない」と、信者たちを励まされた。

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