月別アーカイブ: 2017年8月

[クララ]主はすでに一緒に[2017.8.31.オミリア]

《年間第21木曜日》聖クララ会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。…」(マタイ24章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]偽善者[2017.8.30.オミリア]

《年間第21水曜日》聖クララ会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは言われた。]「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。…。(マタイ23章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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フェルナンド・フィローニ福音宣教省長官が9月18日から来日、広島でもミサ

フェルナンド・フィローニ福音宣教省長官が9月18日から来日、広島でもミサ

「カトリック・あい」ホームページより

 ローマ教皇庁福音宣教省の長官フェルナンド・フィローニ枢機卿が9月18日~25日にかけ、司牧訪問のため、日本の教会を視察する。1週間の程の短い滞在の中で、20日に広島を訪問、広島原爆資料館・平和公園を訪れた後、夕刻に世界平和記念聖堂でミサをささげる予定だ。これに先立ち、以下のメッセージを日本の司教団に送った。(翻訳はカトリック中央協議会)

 

親愛なる兄弟である司教様

 わたくしは、わたしたちの地方教会で羊飼いの使命を行う者たちに今日重くのしかかっている数多くの問題について熟考しながら、司祭たちの生活と役務についてのいささかの考察を、皆様と分かち合いたいと思っております。

 5月7日の日曜日、ローマ教区で10人の新司祭が叙階されたときに、フランシスコ教皇は率直でよく心に響く言い方で次のように述べられました。
「実行の模範を伴わない人の言葉には効果がありません。裏表のある生活は教会における深刻な病です。皆さんが主イエスによって選ばれたのは、キャリアをさらに上げるためではなく、奉仕をささげるためです。」
今日見られるほどの微妙な状況の中で司祭に使命が委ねられたことはかつてありませんでした。この理由から、司教は誰でも、特別な霊的な父性を、すなわち神ご自身にその根源を持つ父性(「すべての父性がそこに源を有する」(エフェソ 3:15参照)を、自分の司祭たちに対して感じるようでなければなりません。司教は、父なる神に倣い、その司祭たちに対して分かたれることのない配慮をすべき者なのです。父性によって司教は、すべての司祭に対して心を砕く父であること、そのざらざらした表現に磨きをかけて丸くし、試練の中にある司祭を励まし、その過ちを正し、一つに結ばれた司祭団の家族というつながりの中でその資質が評価されるように計らうのです。

 何よりもまず司教の父性は、自分の司祭たちを直接に知ることのうちに現れます。司教が司祭たちの名前さえ知らない場合が起こることはごく稀であるとはいえません。これは司祭にとって多大な苦しみの原因となります、なぜなら、それぞれの名前は一人の個人の全人生、洗礼という人生の第一歩から始まった人生の要約を含んでいるからです。名前はわたしたちの家族の起源、わたしたちの健康状態、わたしたちの人間的で感情的な状況、そして、わたしたちの様々な司牧活動の段階のことを思い出させます。もし、司教が、自身を「父」と呼ぶならば、司祭が真に「息子」のようであると感じるならば、そして、同時に、司牧においては信頼できる共労者であろうとするならば、司教には、司祭への感性豊かで親密な接触が絶対に欠くことができない大切なものであります。
司教は、常に第一に重要な善である、人々と諸国民への福音を宣言することを、絶えず追求しながら、司祭への尊敬と礼節を守り、自分の得た適切な関心と考察の成果を司祭へ伝達し、それを司祭たちと明確に分かち合うことが必要であります。
司教様、とりわけ、自分の個人的な教えによって人々を過ちに導き、また人々を罪と死の罠にかけて、自分が盗人となり羊を搾取する牧者の罪ほど(ヨハネ10:1参照)、キリストの体である教会を苦しめるものはありません。司祭たちの中の分裂、司教への尊敬と司教との協力の欠如、一般信徒への適切な配慮のなさ、司牧者としての責任意識の欠如、そして、何人かによって惹き起こされる醜聞など、これらすべては、司牧活動の効果を小さくし、羊の群れの羊飼いとしての司祭のイメージを曇らせるのです。
この点において、わたくしは、あなたの地方教会における司祭たちのどんな姿が浮かび上がってくるのか、とお訊ねしないではいられません。司祭は単なる聖なるものの担当者、分与者、単なるソーシャル・ワーカーですか。あるいは、司祭の生き方が現わすべき聖性とは全く調和しない、自分自身あるいは自分の家族のために快適な人生を整えることを求める司祭ですか。
実際のところ、「我々が司祭であるということは、単純に、キリストに結ばれて生きるという、新しく根源的な存在の在り方なのです。その本質において、それは秘跡のうちにわたしたちに永久に付与されたのであります。しかしながら、もしわたしたちの生活が秘跡の真理に入ることによって拓かれていかないならば、わたしたちの存在の上に記されたこの新しい刻印はわたしたちにとっては断罪となりうるものであります。」(ベネディクト16世、2009年の聖香油のミサの説教)。

 司祭個人の聖性は、司祭の司牧的配慮に託された人々、自己犠牲と寛大さの精神で仕えるべき人々によって感じられるものでなければなりません。司祭の祈りの生活は内部からその使徒職を養います。ご聖体を愛する司祭たちが大いに必要とされています。というのは、司祭たちはご聖体から司牧的な使命のための深い目的を引き出すのです。教皇ベネディクト16世がおっしゃいましたように、「この(司牧的使命)は人自身から来るのではなく、聖なるものにその起源を持つのです。」(2010年5月26日の一般謁見)。

 司祭各自とすべての司祭へ注意を向けるという司教の具体的な姿勢によって、司教の父性の特徴が実行に移されるのであれば、司祭たちの生涯養成は、司教の父性を実際に行うための最も大切な方法の一つである、と言えます。実際において、それは、今日の文化的背景の中での司祭としての生活の重要な要素を構成するものです。新しい司祭養成の根本方針」(Ratio Fundamentalis Institutionis Sacerdotalis)で述べられておりますように、「生涯養成は具体的でなければなりません、すなわち、司祭の現実を具体化し、兄弟愛に生きること、年ごとの霊的な修養、月の静修、霊的な指導、共同生活など。」(参照、同指針80-88)

 司教職において親愛なる兄弟の司教様、わたしはこれらの考察をあなたに委ね、これをあなたが司祭たちと分かち合うことをお願いします。聖母マリア、使徒たちの女王、そして、司祭たちの母は、司祭としての旅路にある皆様の愛する息子たちに、いつも優しく同伴してくださるであろうことを確信しております。

 深い感謝を込めて  キリストにおいて  福音宣教省長官  枢機卿 フェルナンド・フィローニ

*フィローニ長官は、2011年5月、前任者の定年を理由とした引退願を当時の教皇ベネディクト16世が受理、その後任として、国務省総務局長代理から就任した。長官就任後に大司教から枢機卿に。1946年、イタリア・マンドゥリア生まれ。1970年に司祭叙階。2001年に司教叙階。国務省総務局長官代理となる以前に、フィリピン、イラクの教皇大使を務めた。(「カトリック・あい」)

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日曜正午アンジェラスの祈り: 教皇フランシスコ 「もっとも小さな小石も神の手の中では貴重な石となる」。

2017年8月28日バチカン放送日本語課の記事より

日曜正午アンジェラスの祈り: 教皇フランシスコ 「もっとも小さな小石も神の手の中では貴重な石となる」。

8月27日日曜正午、真夏の猛暑にもかかわらず聖ペトロ広場を埋め尽くした巡礼者や信徒たちに、教皇フランシスコは聖母マリアへの祈りアンジェラスを唱える前に、この日曜日のミサ中の福音朗読箇所からテーマをとり、使徒のかしら聖ペトロを中心とした信徒の一致と交わり、すべての人を愛する神の愛について次のように話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のミサ中朗読された福音は、わたしたちに教会における一致と交わり相互の愛、聖ペトロの教会における役割について大切なことを教えてくれます。

岩に例えられる聖ペトロの上に建てられたキリストの教会は、地獄の門も勝てないほど堅固なものです。しかしこの建物にも亀裂が生じることがあります。したがって絶えず修繕、改善の必要もあるのです。

この建物の構成員であるわたしたちはもちろん自分は堅固な岩だと自負することは出来ません。わたしたちはほんの小さな小石に過ぎないかもしれません。しかしいかなる小石も無益ではありません。いかに些細なものであってもそれぞれ大切な役割を持っています。まさしくイエスの手の中では最も小さな小石も貴重な石となれるのです。

神はたとえ小さな石であっても大きな愛をもって各自にもっとも適した場所を準備します。この神の愛をもって、教会を形作る生ける石であるわたしたちは一人ひとり教会の中で固有の使命を持ち、多くの小さな石で構成される一つの建物、生ける共同体を実現します。

わたしたちは一人ひとりでは小さな石ころですが、イエスの手の中で教会という素晴らしい建物を建設する手段となるのです」。

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[クララ]殺しへの道[2017.8.29.オミリア]

《洗礼者聖ヨハネの殉教》聖クララ会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[11分]を聴くことができます。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

IS(イスラミック・ステイト)の教皇暗殺示唆動画

【福音】[そのとき、]…そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。…王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。…。(マルコ6章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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パロリン枢機卿:ロシア訪問を終えて

2017年8月25日バチカン放送日本語課の記事より

パロリン枢機卿:ロシア訪問を終えて

バチカン国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿は、訪問先のロシアから帰国し、教皇庁広報事務局のインタビューで訪問の印象を語った。

パロリン枢機卿は、ロシア当局の招きに応え、8月21日から24日まで、同国を公式訪問。プーチン大統領、ラブロフ外相、またロシア正教会・モスクワ総主教キリル、同総主教庁渉外局長イラリオン府主教と会見した。

同枢機卿は、ロシア訪問の全体の印象を、本質的にポジティブなものと述べた。

ロシアにおける要人らとの会見には、和やかで、互いに耳を傾ける、尊重の雰囲気があり、これらの出会いは意味ある、前向きなものであったと語った。

また、ロシアのカトリック共同体と交流する機会を持ち、特に現地の司教らとの対話を通して、ロシアのカトリック教会の現実、その喜びや希望、また課題や困難を近くから知ることができたと述べ、こうしたことも含め、この訪問は、実のある建設的なものであったと要約できると話した。

パロリン枢機卿は、帰国後、教皇フランシスコにロシア訪問の内容と成果を報告。現地のカトリック共同体、またプーチン大統領や、キリル総主教からの挨拶を伝えた。すべての対話の機会を非常に大切にされる教皇は、訪問の前向きな成果を受け、満足を表されたという。

キリル総主教との出会いでは、教皇と総主教のハバナでの会見に代表されるように、ロシア正教会とカトリック教会に育まれつつある関係を印象付ける、新しい空気を感じることができたと、同枢機卿は述べた。

パロリン枢機卿は、イタリアのバーリから聖ニコラウスの聖遺物がモスクワとサンクトペテルブルクを巡回した際、普段は教会に行かない人も含め、非常に多くの市民が聖遺物を訪問し、人々の熱心な宗教心に目を見張ったという、正教会関係者の話を紹介。この行事がいかに多くの人の信仰心を掻き立てたかを知ったと述べた。

会談では、尊重と親睦の中にも、両教会のデリケートな問題にも触れたが、互いに問題と向き合い、解決を求めようとする前向きな姿勢が生まれたように思うと話した。

パロリン枢機卿は、昨年ウクライナを訪問している。同枢機卿は、今回のロシア訪問において、ウクライナ問題に関する進展は見られず、現段階でそれを語るのは尚早と述べた。

ウクライナ問題は、教皇庁にとって大きな関心であることには変わりないと述べつつ、特に人道的観点をはじめ、状況を正しい方向に導くための、より一層の努力が必要とされていると話した。

プーチン大統領との会談では、両国関係はもとより、シリアをはじめとする中東問題や、キリスト教徒や他の少数派の宗教共同体に対する迫害、ウクライナ、ベネズエラなどのテーマに言及。同枢機卿はこの席で、ロシアは国際的に大きな役割を負っており、平和のために果たすべきその責任を強調したと述べた。

ロシアのカトリック共同体とのミサは、平日にも関わらず大聖堂は信者で満ちあふれ、それは彼らの熱心な信仰、教皇への愛、普遍の教会への帰属を、真摯に表すものだったと、パロリン枢機卿はその感動を振り返った。

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[鳥栖]年間第21主日ミサ説教(2017.8.27.)

鳥栖教会11時からの「年間第21主日」ミサ説教[13分]。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。…イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。…それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(マタイ16章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第21主日ミサ説教(2017.8.27.)

小郡教会8時30分からの「年間第21主日」ミサ説教[11分]。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。…イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。…それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(マタイ16章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第21主日前晩ミサ説教(2017.8.26.)

小郡教会19時30分からの「年間第21主日」前晩ミサ説教[7分]。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。…イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。…それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(マタイ16章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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