月別アーカイブ: 2018年1月

[クララ]あなたの信仰が[2018.1.31.オミリア]

《聖ヨハネ・ボスコ司祭[記]》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[3分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。(マルコによる福音書6章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]「年間第4主日」ミサ説教(2018.1.28.)動画

《年間第4主日》鳥栖教会聖堂で11時から行われたミサの様子を動画で観ることができます。

[鳥栖]ここをクリックして観ることができます。

この日は《世界こども助け合いの日》。前週に観た南スーダンの子どもたちの様子もう一度観て、子どもたちは各自奉納の時に献金を捧げました。

【集会祈願】人々を回心へと導かれる神よ、御子キリストは悪を退け、限りない救いの力を示してくださいました。きょう一つに集まって神をたたえるすべての人に、聖霊の力強い息吹を注いでください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

【福音】イエスは、安息日に[カファルナウムの]会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。(マルコ福音書1章)

【拝領祈願】わたしたちを一つにしてくださった神よ、いのちの恵みに満たされて祈ります。キリストが力強く語られたことばを、日々出会う人々と分ち合うことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]祈って歩みを起こす[2018.1.30.オミリア]

《年間第4火曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになった手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。…イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。…イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」…一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。…そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。…。(マルコによる福音書5章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇、カトリック大学の改革をめぐる使徒憲章発表

2018年1月29日バチカン放送日本語課の記事より

教皇、カトリック大学の改革をめぐる使徒憲章発表

教皇フランシスコは、カトリック大学の改革をめぐる使徒憲章「ヴェリターティス・ガウディウム(真理の喜び)」を発表された。

「真理の喜びは、すべての人の心を、神の光と出会い、そこに住み、それをすべての人と分かち合うまでは平安を得られないものとする、胸を焦がすほどの願望を伝えます」という言葉で始まるこの使徒憲章は、カトリック大学と教会系の学部の改革を通して、カトリック研究の刷新を推進することを目的としている。

「真理とは抽象的な概念ではなく、それはイエス、命であり、人々の光である神のみことばです。」

「教会はイエスによって、絶えず、常に新しい情熱をもって、この喜びを証しし、その使命を告げるよう促されています。」

教皇はこのように序文で記している。

人間、社会・環境の危機等に特徴づけられた、社会・文化の世界規模の変化を背景に、教会に関する学究の叡智と勇気ある刷新を行なうことは、回勅「福音の喜び」でも指摘された、新しい時代におけるより効果的な福音宣教のために急務であると教皇は述べている。

教皇は、教会をすべての神の民が参加する、「外へと向かう」宣教的なものへと変容させるために、教会の学問が単に司祭や修道者や信徒に育成の場とプロセスを与えるだけでなく、教会がイエス・キリストの出来事から現実を読み取るための一種の文化的実験室となることを希望されている。

これを「パラダイムの根本的転換」「勇気ある文化的革命」と呼ばれた教皇は、カトリック教会系の大学・学部の世界ネットワークが、イエス・キリストの福音、常に新しい場面・提案に開いた教会の生きた伝統の、パン種・塩・光となって決定的貢献をもたらすことを願われた。

また教皇は、人生・世界・人間をより良く理解するための、真の聖書解釈が今日必要とされていると述べ、そこに総括的なものではなく、霊的探究の環境、理性と信仰に基づく確信の伴う研究を求められた。

哲学と神学は、開いた精神と、ひざまずく態度をもってのみ、豊かな実りをもたらすと述べた教皇は、完結した思想に自己満足を得る神学者は凡庸であり、良い神学者・哲学者は開かれた考え、すなわち常に未完の、神と真理に開いた、常に発展する思考を持っていると記している。

教皇は、外へと向かう宣教的な教会を目指す上での、教会系の学問の刷新と貢献のために必要な基礎として、まずイエスの常に新しく、魅力的な福音が教会生活、 人類の中でより具現化していくことを観想し、隣人の聖なる偉大さを見つめ、すべての人間の中に神の発見を可能とする、普遍的兄弟愛を知ることを挙げている。

次に必要な基礎に、教皇は、真の出会いの文化として、信者はもとより信者でない人も含めた、あらゆる分野との対話を提案している。

さらに、教皇は、知識のための一致という原則のもと、大学や学科を超えた叡智と創造性ある研究を望まれている。

そして、最後に、世界中の様々な教育機関がネットワークの構築を通して、教会系の研究を育て、推進していくことを急務の課題として示された。

キリスト教神学と文化は、最前線で危険に晒されながらも、忠実に生きた時に、宣教の使命に値するものとなると述べた教皇は、カトリック系大学と学部も、今日の大きな文化的・霊的・教育的挑戦の中で、再生の長いプロセスを必要とするだろうと記している。

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聖パウロの回心の祝日、エキュメニカル儀式、晩の祈り:教皇フランシスコ「同じ神の恵みに生かされて」

2018年1月27日バチカン放送日本語課の記事より

聖パウロの回心の祝日、エキュメニカル儀式、晩の祈り:教皇フランシスコ「同じ神の恵みに生かされて」

1月25日使徒聖パウロの回心の祝日、キリスト教一致祈祷週間最終日に当たり教皇フランシスコはローマ城壁外の聖パウロ大聖堂で、キリスト教諸派の代表者たちと晩の祈りの式を執り行われた。その説教の中で教皇はすべてのキリスト者は洗礼という共通の神の恵みに生かされていることを強調された。

 

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、わたしたちキリスト者はすべて洗礼によって神からゆるしと神の子となる恵みを受けました。この共通の恵みに生かされて、今、神への賛美の祈りを共に捧げましょう。それぞれの違いを認識しつつもわたしたちは皆同じ神のゆるしと贖いの恵みを受け、唯一の神を父といただく兄弟姉妹です。

 

この儀式の中で朗読された出エジプト記の中に読まれるモーセのエピソードを思い起こしましょう。聖アウグスティヌスによればイスラエルの民が神の救いを体験したあの紅海はすべての人々の救いの源となった十字架上のキリストの御血の前表でした。

 

イスラエルの民が紅海の水を通して救いに至ったように、わたしたちキリスト者も洗礼の水を通して救われました。この洗礼の秘跡はわたしたちの敵、罪と死を打ち破ったのです。

紅海を渡ったイスラエルの民は「わたしの力、賛美は神にある、神こそわたしの救い」と歌いました。この同じ賛美を今わたしたちは同じ恵みを受けた兄弟姉妹たちとともに捧げます。

 

使徒聖パウロもこの同じ恵みと兄弟姉妹との交わりを体験しました。神の恵みは聖パウロにすぐに兄弟姉妹たちとの交わりに加わるよう促しました。パウロはその回心後、初めにダマスコの兄弟たちそしてのちにエルサレムの兄弟たちの所に赴いています。兄弟とともにあること、これは信じる者たちの生きた体験です。わたしたちは霊的生活に成長するにつれて少しづつ恵みは他者に伝達し兄弟たちと共有するものだと理解します。

 

紅海を渡りモーセに導かれてカナアンの地に向かう神の民の旅と洗礼を通して神の子となったキリスト者の歩みには共通点が多々あります。神の民が砂漠で多くの困難に遭遇したように今日のキリスト者も多くの困難や危険さらされています。なんと多くのキリスト者たちがキリストの名のゆえに迫害されていることでしょう。彼らは皆、いかなる派に属していようと洗礼の恵みで結ばれ一致した信仰の証人、殉教者です。わたしたちは 他の宗教の兄弟たちとも心を合わせいつでもどこでも人類の尊厳を守るために努力するのです」。

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[小郡]「年間第4主日」ミサ説教(2018.1.28.)

《年間第4主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[14分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【集会祈願】人々を回心へと導かれる神よ、御子キリストは悪を退け、限りない救いの力を示してくださいました。きょう一つに集まって神をたたえるすべての人に、聖霊の力強い息吹を注いでください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

【福音】イエスは、安息日に[カファルナウムの]会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。(マルコ福音書1章)

【拝領祈願】わたしたちを一つにしてくださった神よ、いのちの恵みに満たされて祈ります。キリストが力強く語られたことばを、日々出会う人々と分ち合うことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[基山]恐れるな[2018.1.27.オミリア]

《年間第3土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[3分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】…ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。…」ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」…。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。(サムエル記下12章)

【福音】その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。(マルコによる福音書4章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.1.27.〜2018.2.11.)

主日のミサ時間は2018年3月まで小郡教会8時30分〜、鳥栖教会11時〜です。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。*鳥栖カトリック幼稚園園舎新築工事のため駐車場が使用できないので。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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[クララ]神の国は近づいた[2018.1.26.オミリア]

《聖テモテ 聖テトス司教[記]》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】神の僕(しもべ)、イエス・キリストの使徒パウロから—わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。—信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエス・キリストからの恵みと平和とがあるように。…。

【福音】[そのとき、]主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。…どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあたながたに近づいていた』と言いなさい。」(ルカによる福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇一般謁見: 教皇フランシスコの南米司牧訪問「チリーとペルー両国に神の恵み豊かならんことを」

2018年1月25日バチカン放送日本語課の記事より

教皇一般謁見: 教皇フランシスコの南米司牧訪問「チリーとペルー両国に神の恵み豊かならんことを」

1月24日一般謁見の席上教皇フランシスコは南米チリーおよびペルー両国の公式司牧訪問について話し、両国のために神の祝福を祈るよう願われた。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のこの一般謁見は2箇所分かれて行われています。今皆さんのいるこの聖ペトロ広場とは別に、パウロ6世ホールにも病気の子供たちが皆さんと一緒にこの謁見に参加しています。子供たちをこの時期の寒さにさらすことのないようにするためです。かれらは皆さんを見また皆さんもスクリーンを通じてこの子供たちを見ることができます。

わたしは二日前に南アメリカのチリーとペルー公式司牧訪問から帰ったばかりです。チリーとペルー両国に最大の賛美を送ります。両国民は素晴らしい人々です。この司牧訪問を無事に終えることができたことを心から神に感謝いたします。この訪問中、両国において様々な人々に出会い、また社会的発展に尽くすよう励ますことも出来ました。

今回の司牧訪問実現のために犠牲を惜しまず協力してくれた両国政府関係者たちまた司教たち教会関係者にも心から感謝を繰り返したいと思います。皆、大いなる配慮と寛大さをもってローマ教皇を迎えてくれました。

さらに多くの協力者たちや数多くのボランティアの人々、特に多くの若者たちに感謝いたします。両国ではそれぞれチリーで2万人、ペルーでも2万人以上の人々がボランティアとして寛大に奉仕してくれました。すばらしい人々です。

わたしのチリー訪問はその実現前にいろいろな理由から反対運動があったことを皆さんもメディアを通じて知っていたことと思います。この事実はまさしく今回のわたしの訪問のモットー「わたしはあなた方に平和を与える」というキリストの言葉の意義を際立たせることになりました。わたしたちが毎日ミサ中にこの言葉を繰り返します。キリストがその弟子たちに向けた言葉です。真の平和、それはわたしたちの救いのために死に、そして復活されたキリストだけが与えることのできる恵みです。わたしたち各人が平和を必要としているだけではなく、バラバラになっている第三次世界戦争の真っただ中にあるような今日の世界も平和を必要としているのです。どうか皆さん平和のためにともに祈りましょう。

チリにおける政府関係者たちとの出会いでは、完全なる民主義実現の歩みを続けるよう激励いたしました。その最も有効な実現方法とは人々の声に耳を傾けるということ、特に貧しい人々、若者たち、高齢者たち、移民そして土地そのものの声にも注意深く耳を傾けることだと強調したしました。

チリーにおける最初のミサは平和と正義のために捧げられました。ミサ中、主の真福八端の中から「平和ための働き人は幸いである。なぜなら神の子らと呼ばれるだろうから」という言葉が強調されました。特にこの言葉がチリ―の社会の現状の中で必要とされるからです。

ここではまた大変重要な訪問をも実現しました.首都サンチアゴの女子刑務所訪問です。そこでは幼子を腕に抱いた多くの若い母親たちにも出会いました。多くの困難の中にあっても彼女らは大きな希望の中に必死に生きておりました。わたしは彼女ら一人ひとりを完全なる更生と社会復帰のために真剣に努力するよう励ましました。わたしたちはあらゆる刑務所を完全な社会復帰という観点から考え見なければなりません。もしこの社会復帰の希望がないなら、刑務所は終わりのない拷問になってしまいます。かえってこの社会復帰のためによく機能するなら、たとえ終身刑の囚人たちでも刑務所の中から、社会のために役立つ仕事を通して社会そのものに貢献することができるのです。対話の道はいつも開かれてなければなりません。ですからどの刑務所もたえずこの社会復帰という観点に立たなければなりません。

司祭や修道者、司教たちとの出会いも持ちました。この国の教会を苦しめる傷、その中でも児童の性的虐待などの問題を決してなおざりせず真剣に取り組むように互いに確認しました。しかし同時に神への信頼の中にこの大きな試練によって教会関係者たちに清めと刷新がもたらされることをも指摘しました。

若者たち、大学生たちとの出会いでわたしはかれらに聖アルベルト・ウルタードの言葉「キリストはわたしのこの場にいたら何をなさるだろうか」を常に念頭に置くよう勧めました。人生の中で困難や問題、衝突はつきものです。それらを隠す必要はありません。問題の所在を明らかにし、何事をも忍耐強い対話をもって解決するようにしなければなりません。問題を見ぬふりすることなく正面からぶつかっていきましょう。そして話し合う機会を持つことです。衝突はこのようにして解決に向かいます。対話によって解決されるのです。

ペルー訪問のモットーは「希望によって一致して」というものでした。一致とは何もかも同じという実りのない「画一性」のことではありません。様々に異なる文化や歴史を包み込む豊かさそのものを意味します。

ペルーの政府関係者たちとの出会いで、わたしはこの国の自然、文化、霊的遺産の豊かさを指摘し高く評価しました。しかし同時にこの国に影を落とす二つの点についても注意を促しました。環境破壊と汚職の問題です。これらは人の心を破壊します。誰もこの問題から免除されません。すべての人が真剣に取り組むべき問題なのです。

ペルーにおける最初のミサは海辺の街、トゥルヒッリオでのミサでした。昨年大暴風雨によって大きな被害を被ったところです。この街でわたしはただ自然の災害に立ち向かうだけではなくもう一つの暴風、犯罪組織や教育の欠如、失業などにも勇気をもってたち向かうよう励ましました。この街は聖母マリアへの信心の篤い街です。ここで聖母賛美式を執り行い、人々の崇敬をあつめる「門の聖母」像に戴冠し「慈しみと希望の母」と命名しました。

今回の司牧訪問の最後の行事はペルーの首都リマで執り行いました。「奇跡の聖主」という聖画がまつられているペルーで最も有名な巡礼聖堂で500人ほどの観想修道会修道女らと会いました。彼女らは教会と社会全体にとって信仰と祈りの促進者です。身体全体に空気を送り込む肺のような存在です。

リマの司教座聖堂ではペルーのすべての聖人たちのお取次ぎを願いながら特別な祈りをみなとともに捧げその後司教たちとの出会いを持ちました。

ペルーの若者たちには聖人たちをキリストにあくまでも付き従った不屈の人々として示し、その模範に従うよう勧め、チリーとペルー両国民へのキリストのメッセージとして、最後のミサの典礼からから取られた「改心して福音を信じなさい」という言葉を残しました。

親愛なる兄弟姉妹の皆さんチリーとペル―両国の上に主の祝福豊かならんことを祈りましょう。

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