月別アーカイブ: 2018年8月

「水」をテーマに「環境保護のための世界祈願日」

2018年8月30日バチカン放送日本語課の記事より。

「水」をテーマに「環境保護のための世界祈願日」

9月1日、「水」をテーマに、カトリック教会の「第4回環境保護のための世界祈願日」が、行われる。

9月1日に記念される「環境保護のための世界祈願日」は、教皇フランシスコの環境をテーマにした回勅「ラウダート・シ」が発表された2015年6月から2か月後の、同年8月、教皇ご自身によって制定された。

正教会のコンスタンティノポリ総主教庁は、以前から同日に同様の記念日を行っており、こうして、毎年9月1日は、環境問題への関心を深めつつ、正教会をはじめ他のキリスト教教会の兄弟姉妹たちと一致して祈る機会となっている。

「水問題」をテーマに

教皇フランシスコは、8月29日の一般謁見で、今年の「環境保護のための世界祈願日」のテーマとして、「水の問題」を提示。人間が生きる上で不可欠な「水」が、皆にいきわたるよう願われている。

教皇の「水問題」への関心は高く、これまでしばしば水資源の保護などを訴えて来られた。

特に回勅「ラウダート・シ」で、教皇は「水」について論じるスペースを割いている。

飲用水は最優先課題

ここで教皇は、飲用可能なきれいな水は、人々の生活とエコシステムにとって最優先課題であるが、多くの場所で、水に対する需要がその供給可能な量を上回っていることを指摘している。

水問題が深刻なのは、特にアフリカや一般的に最も貧しい地域で、ここでは水を原因とする病気が人々の間に広がっている。

深刻な水不足を懸念

また、教皇は、帯水層の汚染問題、また、飲用水へのアクセスは人間の本質的権利であるが、ある地域では帯水層が私物化され、水は取り引きの商品となっていることなどに触れている。

さらに教皇は水の無駄遣い問題にも言及。いくつかの研究が警告するように将来深刻な水不足が起こる可能性を憂慮している。

教皇は、環境破壊が多くの人々の生活を襲う一方で、世界的な大企業が水を占有することも予測されるとし、水が今世紀の紛争の源となることを懸念されている。

30 8月 2018, 17:59
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[クララ][2018.8.31.オミリア]

《年間第21金曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[皆さん、]キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。…。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(1コリント1章)

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。]「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壷(つぼ)に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(マタイ福音書25章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ][2018.8.30.オミリア]

《年間第21木曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕(しもべ)は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」(マタイ福音書24章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ][2018.8.29.オミリア]

《洗礼者聖ヨハネの殉教》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。(マルコ福音書6章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ][2018.8.28.オミリア]

《聖アウグスチヌス》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。/神はこのことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。(2テサロニケ2章)

【福音】[そのとき、イエスは言われた。]「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷(はっか)、いのんど、茴香(ういきょう)の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉(こ)して除くが、らくだは飲み込んでいる。律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(マタイ福音書23章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]年間第21主日ミサ説教(2018.8.26.)

《年間第21主日》鳥栖教会聖堂で11時から行われたミサの説教[8分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]弟子たちの多くの者は、[イエスの話]を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば…。命を与えるのは、”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からのお許しがなければ、だれもわたしのもっとに来ることはできない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」[ヨハネ福音書6章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第21主日ミサ説教(2018.8.26.)

《年間第21主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]弟子たちの多くの者は、[イエスの話]を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば…。命を与えるのは、”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からのお許しがなければ、だれもわたしのもっとに来ることはできない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」[ヨハネ福音書6章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第21主日前晩ミサ説教(2018.8.25.)

《年間第21主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[9分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]弟子たちの多くの者は、[イエスの話]を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば…。命を与えるのは、”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からのお許しがなければ、だれもわたしのもっとに来ることはできない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」[ヨハネ福音書6章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.8.25.〜2018.9.9.)

鳥栖カトリック幼稚園園庭工事のため8月一杯は佐賀銀行の職員駐車場をご利用ください。幼稚園駐車場はまだ完成していませんが、日曜日7時〜14時までは一部使えます。*駐車の際は警備員に一言お願いします。

司祭館の後ろ側に新しくできる駐車場は9月から使用出来る予定です。

★7月〜9月の日曜日のミサは小郡教会8時30分〜、鳥栖教会11時からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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米国の聖職者による未成年者虐待:教皇庁「恐ろしい犯罪を、恥じ、悲しむ」

2018年8月17日バチカン放送日本語課の記事より。

米国の聖職者による未成年者虐待:教皇庁「恐ろしい犯罪を、恥じ、悲しむ」

米国ペンシルベニア州における、カトリック教会の聖職者による未成年者の性的虐待を調査した文書が同州大陪審から発表されたことを受け、教皇庁は、この「恐ろしい犯罪」を恥じ、悲しんでいると声明した。

バチカンのグレッグ・ブルク広報局長は、米ペンシルベニア州の司法当局が8月14日に公表した、同州のカトリック聖職者による未成年者性的虐待の調査レポートについて、声明を発表した。

この文書は、同州の大陪審が2年かけてまとめた、およそ900ページに及ぶもので、過去70年間にペンシルベニア州のカトリック教会の聖職者によって起こされた未成年者への性的虐待を体系的に調査している。新しい件についての報告はない。

この調査によって明らかになった被害者数は1000人にのぼり、全体的にはさらに多くの被害者の存在が推測されている。

同文書は、米国の司法当局が、聖職者の未成年者性的虐待事件を体系的かつ徹底して調査したという点から、これまでにないものとなった。

報告書は、事件に関与した者の名前を記すと共に、カトリック教会がこれらの事件を組織的に隠ぺいしてきたことを指摘している。

バチカンの広報局長は、8月17日発表した声明で、「ペンシルベニアで発表された文書を前に、この恐ろしい犯罪に対して言える言葉は二つ、恥と、悲しみである」と述べた。

そして、「教皇庁は、同州大陪審の長い調査活動と、それにより作成された報告書を、真摯に深く受け止め、未成年者に対する性的搾取をはっきりと非難する」と述べている。

声明は、報告書に記された虐待を、法的にも倫理的にも非難すべきものとし、こうした行為は被害者の信頼を裏切り、彼らの尊厳と信仰を傷つけたと強調。

教会は過去の厳しい経験から学ばなくてはならず、虐待を行った者も、それが起きる状況を容認した者もその責任を負うべきである、としている。

報告書の内容の大部分は2000年より前に起きたケースを扱い、2002年以降のケースはほとんど見つかっていないことを指摘しつつ、大陪審の過去の調査の結果は、米国のカトリック教会によって行われた改革が聖職者の未成年虐待の件数を大幅に減らしたことを裏付けるもの、と述べている。

教皇庁は未成年者と弱い立場にある成人の保護を保証するために、カトリック教会のあらゆるレベルの改革と監督を励ますと共に、未成年者への虐待を通告することはもとより、法律を順守する必要を強調していると、声明は伝えた。

バチカンの広報局長は、教皇は、これらの犯罪が信者らの信仰と精神を揺るがすものであることを十分理解しておられ、教会内と社会全体において、未成年者と弱い立場にある成人にとって安全な環境を創り出すために、あらゆる努力を惜しまないように呼びかけておられる、と伝えた。

そして、教皇が彼らの側に立ち、被害に苦しんだ人々を最優先にしておられること、また、無実の人々の人生を破壊するこの悲惨なおぞましい出来事を撲滅するために、教会は被害者に耳を傾けることを望んでいることを知って欲しいと、被害者らに呼びかけた。

17 8月 2018, 18:24
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