月別アーカイブ: 2020年2月

教皇、ローマのアベンティーノで「灰の水曜日」の伝統儀式

バチカン放送日本語課[2020.2.27.]より

四旬節の初日、教皇フランシスコは、ローマのアベンティーノ地区の聖サビーナ教会で「灰の式」をとり行われた。
カトリック教会の典礼暦で、復活祭の準備期間「四旬節」に入った2月26日(水)、教皇フランシスコは、ローマ市内の聖サビーナ教会で、「灰の水曜日」の伝統儀式をとり行われた。
「四旬節」は、公生活に入る前のキリストが「霊」に導かれ、荒れ野に行き、40日間の断食を行ったことを思い起こすもので、信者はこの間、悔悛・祈り・断食・節制・施し・愛徳の業などを通し、キリストの復活の記念によりふさわしい形であずかれるよう精神的準備を行う。
「四旬節」の初日は「灰の水曜日」と呼ばれ、この日、教会では、各々が死と痛悔の象徴である灰を受ける、「灰の式」がとり行われる。
この儀式には、前年の「受難の主日(枝の主日)」(復活祭直前の日曜日で、聖週間初日)に祝福された枝を燃やした灰が用いられる。司祭はその灰を聖水で祝別し、「あなたはちりであり、ちりに帰る」
(創世記3,19)、または「回心して福音を信じなさい」(マルコ1,15)という言葉をもって、信者の頭や額に灰で十字のしるしをする。
この日の夕方、教皇による「灰の水曜日」の一連の儀式は、ローマのアベンティーノの丘の教会群の間で行われた。
まず、聖アンセルモ教会での祈りと共に、宗教行列が出発。諸聖人の連祷が響く中、行列は聖サビーナ教会へと向かった。
到着した聖サビーナ教会で、教皇はミサを捧げられ、この中で「灰の式」をとり行われた。
説教で教皇は、四旬節は人々に無用な道徳主義を投げかけるための時ではなく、惨めな塵に過ぎないわたしたちが、神に愛されていることを知るための時である、と強調。
四旬節とは恵みの時、わたしたちに注がれる神の愛の眼差しを受け入れ、生き方を変える時、と述べられた。
「わたしたちは、灰からいのちへと歩むために、この世にいます。それゆえ、希望を燃やしてしまうことがないように、神がわたしたちに与えてくださったしるしを灰に帰することがないように、決してあきらめてはなりません。」
「世の中が悪い方に向かい、恐怖が広がり、多くの悪意があり、社会が非キリスト教化しつつある時、どうして信頼できようか、とあなたは言うかもしれない。しかし、神はわれわれの塵を栄光に変えることがおできになると、あなたは信じないのでしょうか。」
教皇はこのように説かれた。
説教に次いで行われた「灰の式」で、教皇は、聖サビーナ教会を名義教会とするジョセフ・トムコ枢機卿から、頭に灰を受けられた。
この後、教皇は、トムコ枢機卿そして他の参加者らの額に、灰で十字のしるしを与えられた。
27 2月 2020, 12:43

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聖ヨハネ大聖堂でローマの主任司祭たちの集い

バチカン放送日本語課[2020.2.27.]より

四旬節に入り、ローマの司教座聖堂、ラテランの聖ヨハネ大聖堂で、教区の主任司祭たちの集いが行われた。
灰の水曜日の翌日、2月27日、ラテランの聖ヨハネ大聖堂で、ローマ教区の主任司祭たちの集いが行われた。
毎年恒例のこの行事では、教皇フランシスコによる講話や、教皇ご自身による数人の司祭たちへのゆるしの秘跡が予定されていたが、この日、教皇は軽い不調のため大事を取り、同大聖堂への訪問を控えられた。
一方、この日、教皇はバチカン内で、サンタ・マルタ館礼拝堂での朝のミサのほか、「世界カトリック環境運動」関係者との出会いをはじめ、予定された行事をとどこおりなく行われた。
教皇は主任司祭たちとの集いのために用意された講話を、ローマ教区教皇代理司教アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿に託された。
この講話で教皇は、司祭とは、苦しみを体験しつつ変容された者、希望と和解の人であるべき、と述べている。
教皇は、信仰上の苦しみは、単なる期待とキリスト教的希望を混同することから起きる、と強調。
「キリスト教的希望は失望させることがない。希望とは物事がうまくいくと思い込むことではなく、すべての出来事を過ぎ越しの光のもとにとらえること」と説いている。
また、教皇は、神の御前で「優等生」でいようとせず、詩編作者たちがそうであったように、祈りの中で、自分自身だけでなく、人々の苦しみについて、神に訴える姿勢が必要とも語っている。
さらに、教皇は、ロレンツォ・スクーポリ(1530-1610司祭・修道者)の『霊的闘い』にあるように、自分を守ろうとすることをやめて、神だけに信頼することを決心した時に、希望がわき出でる、とも記した。
「神の民はわたしたちのことを誰よりもよく知っている」と述べた教皇は、司祭らの苦しみを知り、そのために祈る信者たちの存在を指摘。「信者たちの祈りに、自らの祈りを合わせ、自分たちの苦しみを民のための甘い水に変えていただけるよう、主に祈ろう」と招かれた。
27 2月 2020, 19:04

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バチカンで人工知能ワークショップ開催

バチカン放送日本語課[2020.2.26.]より

2月26日から28日まで、バチカンで人工知能をめぐるワークショップが開かれている。
このワークショップは、教皇庁立生命アカデミーの主催によるもので、昨年2月、同アカデミー総会中に開かれたイベント「ロボット倫理学:人間、機械、健康」に続く企画として行われた。
前回の「ロボット倫理学」と今回の「人工知能」という二つのテーマを深めることにより、科学やテクノロジーの進歩と関連する倫理的問題を考えることを目的としている。
生命アカデミー議長のビンチェンツォ・パリア大司教は、「近年、生命アカデミーは最新テクノロジーに関心を示しており、2019年から2020年までの2年間、人工知能をめぐる倫理的および人類学的問題を考えてきた」と説明した。
これらのワークショップは、教皇フランシスコの促しに従い、「勇気と識別力をもって、科学やテクノロジーといった領域に入っていく」ことを目指している。
同ワークショップには、米マイクロソフトのブラッド・スミス社長、IBMのジョン・ケリー上級副社長、ダヴィッド・サッソーリ欧州議会議長、屈冬玉(チュー・ドンユィ)国連食糧農業機関(FAO)事務局長などが参加する。
また、教皇フランシスコは、バチカン宮殿よりストリーミングを通して、ワークショップ参加者にメッセージを送ることになっている。
26 2月 2020, 18:43

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灰の水曜日:「イエスと共に荒れ野に入ろう」教皇一般謁見

バチカン放送日本語課[2020.2.26.]より

福岡教区では(東京・札幌教区も)2月27日(木)から3月14日(土)まで公開のミサが中止となりました。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためです。3月1日と8日の主日の参加義務は免除されます。教皇フランシスコは昨日の「灰の水曜日」の一般謁見で「イエスと共に荒れ野に入ろう」と呼びかけられました。荒れ野、それは沈黙の支配する場であり、また、その沈黙の中で主のみ言葉と出会います。四旬節の前半にミサがないことになりますが、沈黙の時を作り、そこで主のみ言葉に出会う機会とすることができれば、たいへん意味のある四旬節になると思います。ウイルスの感染が広まらないことを、また感染症の終焉を祈りつつ…。

典礼暦は「灰の水曜日」を迎えた。教皇フランシスコは、一般謁見で、この日から始まる「四旬節」の意味について話された。
教皇フランシスコは、バチカンで2月26日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
同日、カトリック教会の典礼暦は「灰の水曜日」を迎え、これと共に復活祭前の準備期間、「四旬節」に入った。
教皇は謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「四旬節」の意味について講話を行われた。
「四旬節」は、「灰の水曜日」から「聖土曜日」(復活祭の前日の土曜日)までの、主日(日曜日)を除いた40日間をいう。
教皇は、キリスト教信仰と一年の典礼の中心である復活祭へと向かう、この「四旬節」の歩みは、公生活前に荒れ野で40日間の祈りと断食の日々を過ごしたイエスに従うもの、と話し、キリスト者にとって「荒れ野」が示す精神的意味を説明された。
自分が荒れ野にいると想像するよう招かれた教皇は、そこで最初に感じるのは大いなる沈黙ではないだろうかと述べられた。
荒れ野は、わたしたちを取り囲む騒音から離れ、その沈黙の中で、風のように吹き、心に触れる神の御言葉を聴く、まさに「御言葉の場所」である、と教皇は語られた。
実際、聖書では、主は荒れ野でご自身の民に話しかけることを好まれる、と教皇は述べ、神がモーセに十戒を託されたのは、荒れ野においてであった、と振り返った。
荒れ野で人は神に近づき、神の愛を再び見出す。毎日、人里離れた所に退き祈っておられたイエスは(参照:5,16)、沈黙のうちにわたしたちに語りかける御父を、どのように探し求めたらよいかを教えている、と教皇は述べた。
こうしたことから、四旬節はテレビや携帯電話を消して、聖書を開き、福音に親しむようにと勧められた。
神と対話するためには祈りが不可欠であり、主との沈黙の対話はわたしたちに再び命を与えるものである、と、教皇は祈りの重要性を示された。
教皇はまた、荒れ野は多くの無用な物事から解放され、本当に大切なものに立ち返る、「本質の場所」と強調。
イエスはわたしたちに断食の模範を示されたが、断食は無駄や贅沢を捨て、本質的で簡素な生活の美しさを求めさせるもの、と説かれた。
さらに、教皇は、荒れ野は「孤独の場所」である、と語った。
今日もわたしたちのまわりには多くの荒れ野がある、と話す教皇は、貧しい人やお年寄りなど、疎外され見捨てられた多くの人々の存在を指摘。
荒れ野は無言のうちに助けを求めるこれらの人々へとわたしたちを導き、四旬節の歩みは最も弱い立場の人々に向かう愛の歩みとなる、と話された。
こうして、教皇は、祈り・断食・いつくしみの業を、四旬節の荒れ野の道として示された。
「『見よ、新しいことをわたしは行う…わたしは荒れ野に道を敷く』(参照:イザヤ43,19)と神は約束されたとおり、荒れ野にはわたしたちを死からいのちへと導く道が開かれる。」
「イエスと共に荒れ野に入り、いのちを新たにする神の愛の力、過ぎ越しを体験しながら、そこから出よう。荒れ野のイエスに従おう。イエスによってわたしたちの荒れ野は花開くだろう。」
教皇は、四旬節の初日、「灰の水曜日」の一般謁見で、このように呼びかけられた。

26 2月 2020, 18:06

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[小郡]灰の水曜日[2020.2.26.]録音13分17秒

第一朗読:ヨエル2・12-18、二コリント5・20〜6・2/福音:マタイ6・1-6、16-18

第一朗読 主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食(だんじき)し、泣き悲しんで。衣(ころも)を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。」/あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み くだした災いを悔(く)いられるからだ。/あるいは、主が思い直され その後(あと)に祝福を残し あなたたちの神、主にささげる穀物(こくもつ)とぶどう酒を残してくださるかもしれない。/シオンで角笛(つのぶえ)を吹き 断食を布告し、聖会を招集せよ。民を呼び集め、会衆を聖別し 長老を集合させよ。幼子、乳飲み子を呼び集め 花婿を控えの間から 花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き 主に仕える者は言うがよい。「主よ、あなたの民を憐(あわ)れんでください。あなたの嗣業(しぎょう)である民を恥に落とさず 国々の嘲(あざけ)りの種としないでください。『彼らの神はどこにいるのか』となぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」/そのとき 主は御自分の国を強く愛し その民を深く憐れまれた。

答唱詩編 あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。    神よ、いつくしみ深くわたしを顧(かえり)み、豊かなあわれみによって わたしのとがをゆるしてください。悪に染まったわたしを洗い、罪深いわたしを清めてください。/わたしは自分のあやまちを認め、罪はわたしの目の前にある。あなたがわたしをさばかれるとき、そのさばきはいつも正しい。

第二朗読 [皆さん、]神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めをはたしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

福音朗読 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「見てもらおうとして、人の前で善行(ぜんこう)をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既(すで)に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

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[鳥栖]灰の水曜日[2020.2.26.]録音16分31秒

第一朗読:ヨエル2・12-18、二コリント5・20〜6・2/福音:マタイ6・1-6、16-18

第一朗読 主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食(だんじき)し、泣き悲しんで。衣(ころも)を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。」/あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み くだした災いを悔(く)いられるからだ。/あるいは、主が思い直され その後(あと)に祝福を残し あなたたちの神、主にささげる穀物(こくもつ)とぶどう酒を残してくださるかもしれない。/シオンで角笛(つのぶえ)を吹き 断食を布告し、聖会を招集せよ。民を呼び集め、会衆を聖別し 長老を集合させよ。幼子、乳飲み子を呼び集め 花婿を控えの間から 花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き 主に仕える者は言うがよい。「主よ、あなたの民を憐(あわ)れんでください。あなたの嗣業(しぎょう)である民を恥に落とさず 国々の嘲(あざけ)りの種としないでください。『彼らの神はどこにいるのか』となぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」/そのとき 主は御自分の国を強く愛し その民を深く憐れまれた。

答唱詩編 あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。    神よ、いつくしみ深くわたしを顧(かえり)み、豊かなあわれみによって わたしのとがをゆるしてください。悪に染まったわたしを洗い、罪深いわたしを清めてください。/わたしは自分のあやまちを認め、罪はわたしの目の前にある。あなたがわたしをさばかれるとき、そのさばきはいつも正しい。

第二朗読 [皆さん、]神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めをはたしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

福音朗読 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「見てもらおうとして、人の前で善行(ぜんこう)をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既(すで)に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2020.2.27.〜2020.3.14.)

福岡教区本部事務局からの発表に基づき、2月27日(木)から3月14日までのミサを中止します。今日から四旬節が始まりました。この際、今まで以上に「主のみ言葉」に関心を持ち、「主のみ言葉」を味わいながら今年の四旬節前半を過ごしましょう。3月15日(日)四旬節第3主日以降のミサについては追ってご案内します。

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3月1日(日)14時 福岡信徒協研修会・講演会中止(延期)のお知らせ

3月1日(日14時からカテドラル大名町教会で行われる予定の福岡信徒研修会・講演会は新型コロナウイルス感染拡大予防のため中止になりました。延期される可能性があります。その場合は追って連絡いたします。感染終焉を祈りつつ。

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「過ぎ越しの神秘を見つめる」2020年度四旬節メッセージ

バチカン放送日本語課[2020.2.24.]より

教皇フランシスコは、2020年度の「四旬節」にあたり、メッセージを発表された。
カトリック教会の典礼暦は、今年2月26日に記念される「灰の水曜日」から、「復活祭」の準備期間、「四旬節」に入る。
祈りと償いの時である「四旬節」を信者たちがより有意義に過ごし、復活祭のためにふさわしい準備ができるように、教皇は、毎年この時期、メッセージをおくられる。
今年の「四旬節」に教皇フランシスコが選ばれたテーマは、「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(2コリント 5,20)。
教皇はこのメッセージで、四旬節を、イエスの死と復活という偉大な神秘を新たに記念するための、準備にまたとない機会として示し、神への回心を次のように促している(以下、メッセージ要約)。


過ぎ越しの神秘は、回心の基礎
イエスの死と復活の福音に耳を傾け、それを受け入れること、キリスト者の喜びは、福音の告知「ケリグマ」から生まれ出る。
福音を信じる者は、わたしたちの命は自分たち自身が創造したのだ、という偽りを退け、命はそれを豊かに与えることを望まれた父なる神の愛によって生まれたと、知るようになる(参照:ヨハネ10,10)。
もし「偽りの父」(参照:ヨハネ8,45)のたくみな誘惑の声に耳を傾けるならば、虚無の深遠に突き落とされ、地上の地獄を味わうことになるだろう。
回心は急務である
過ぎ越しの神秘を深く観想することは、有益なことである。この神秘のおかげでわたしたちに神のいつくしみがもたらされたのである。神のいつくしみの体験は、十字架につけられ復活された主と一対一で向き合う、心と心の対話、友と友との対話によってのみ可能である。
四旬節において祈りが大切なのは、このためである。祈りは一つの義務である前に、常に先だってわたしたちを支えてくださる神の、その愛にふさわしい者になりたいという気持ちの表現である。
実際、キリスト者は、自分は愛されるに値しない者である、という自覚のうちに祈る。祈りには様々な形があるが、神の御目に真に重要なことは、その祈りがわたしたちの心を奥底まで掘り下げ、神とその御旨によりいっそう向き合うために、そのかたくなな心に切り込んでいるかである。
この四旬節に、イスラエルのように荒れ野に導かれ(ホセア2,16)、そこではじめてわたしたちの「花婿」の声を聞き、その声を心の中に深く響かせなくてはならない。
子らとの対話を情熱的に望まれる神
主がわたしたちの回心のために再びくださるこの機会を、あたりまえとみなしてはならない。この新しい機会が、わたしたちに感謝を呼び覚まし、われわれの無気力を揺さぶるものとなるべきである。わたしたちの生活、また教会や世界における悪の存在にも関わらず、生き方を変えるべく与えられたこの機会は、わたしたちとの救いの対話を絶つまいとの、神の粘り強い御旨の表れである。
自分のためにため込まず、分かち合うべき豊かさ
過ぎ越しの神秘を生活の中心に据えるとは、十字架に付けられたキリストの御受難を通し、戦争や、生命の誕生から高齢に至るまでの命に対する様々な非道、暴力、環境災害、富の不平等な分配、人身取引などの、多くの犠牲者の中に憐みを感じることを意味している。
より平等な世界を構築するための個人的参与の形として、喜捨などを通して、最も貧しい人々と自分の持っている物を分かち合うよう、すべての善意の人々に呼びかけることは、今日も重要である。愛徳における分かち合いは、人間をいっそう人間らしくする。富をため込むことは、人間を利己主義の中に閉じ込め、愚かにしてしまう。
こうしたことから、2020年度の四旬節中の3月26日から28日にかけて、アッシジに若い経済専門家や企業家たちを招き、より正しく、包括的な経済を目指すための集いが行われる。
この四旬節、神と和解させていただくようにとの呼びかけを受け入れ、過ぎ越しの神秘の中心に眼差しを据えながら、神との開かれた誠実な対話に向き合うことができるよう、聖母の取り次ぎを祈りましょう。
24 2月 2020, 17:25

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