月別アーカイブ: 2020年6月

教皇「シリア支援会合のために祈りを」

バチカン放送日本語課[2020.6.28.]より

教皇フランシスコは、「シリアと地域の将来を支援する」会合のために祈りを呼びかけられた。

6月30日(火)、「シリアと地域の将来を支援する」会合が、欧州連合と国連によって共催される。

教皇は6月28日(日)の正午の祈りで、今回4回目を迎えるこの「ブリュッセル会合」に言及。この重要な会合がシリアと周辺国の人々の状況の改善につながるよう、信者らに祈りを呼びかけられた。

シリア周辺国の中でも、特にレバノン情勢に触れた教皇は、同国の社会・政治・経済的危機が、パンデミックの影響で深刻さを増していることに憂慮を表された。

教皇はシリアと周辺地域で食べ物に事欠く子どもたちを思い、当事国の責任者らに平和への努力を強く訴えられた。

この日、教皇は、同時にイエメンの重大な人道危機のために苦しむ子どもたちへの関心を促された。

さらに、ウクライナ西部を襲った洪水の被害者らに神の慰めと兄弟たちの支援を祈られた。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために28 6月 2020, 16:12

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【クララ】年間第13火曜日【2020.6.30.】

ガリラヤ湖の朝

第一朗読:アモス3・1-8、4・11-12/福音朗読:マタイ8・23-27

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、]イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。[すると、]湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。イエスは言われた。「なぜ怖(こわ)がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱(しか)りになると、すっかり凪(なぎ)になった。人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《嵐をこわがるな。小さくされた者たちとともに、イエスがいる》イエスが舟にのると、弟子たちがそれにつづいた。そのうちに湖は大しけとなり、舟は波におおわれるほどになった。イエスは眠っていた。弟子たちはそばに寄ってイエスを起こし、叫んだ。「主よ、助けてくれ。もう、だめだ」。イエスはかれらに、「何をこわがるのか。信頼の足りない者たちだ」と言いつつ、身を起こして、風と湖とをいましめると、大なぎとなった。人々は感銘(かんめい)を受けて、言った。「この人はいったい何者だろう。風や湖まで、言うことをきくとは。

【オミリア】11分54秒

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新しい「カテケーシス指針」発表、今日のよりよい福音宣教のために

バチカン放送日本語課[2020.6.26.]より

教皇庁新福音化推進評議会から、新しい「カテケーシス指針」が発表された。

教皇庁新福音化推進評議会は、6月25日、新しい「カテケーシス指針」を発表した。

第二バチカン公会議後に発表されたカテケーシスの指針としては、1971年の「カテケーシス一般指針」(聖職者省)、1997年の「カテケーシスのための一般指針」(聖職者省)に次いで三つ目となる。

今回の新文書は、新福音化推進評議会の起草によるもので、2020年3月23日、福音宣教とカテキズムの推進に貢献した16世紀の聖人、トリビオ・デ・モグロべーホの記念日に、教皇フランシスコによって認可された。

新福音化推進評議会議長、サルバトーレ・フィジケッラ大司教によれば、「カテケーシス指針」は、全教会を対象としたもので、世界の諸地域の助言を広く得ながら、長い時間をかけて完成に至った。

この日発表されたのは、イタリア語による公式版であるが、すでにスペイン語、ポルトガル語、英語、フランス語、ポーランド語の訳が整っている。

同文書は、まず、信仰の伝達の第一の責任者である司教と共に、司教協議会およびその中のカテキズム担当委員会に向けられ、そして、その使用においては、教会共同体で日常的に奉仕する、司祭・助祭・奉献生活者・カテキスタらに具体的に関わってくるものである、とフィジケッラ大司教は語った。

この新しい「カテケーシス指針」は、300ページを超える豊かな内容で、三部に分かれ、全12章からなる。

その全体は次のように構成されている。

第一部 教会の宣教的使命におけるカテケーシス

第1章  啓示とその伝達
第2章 カテケーシスのアイデンティティー
第3章 カテキスタ
第4章 カテキスタの育成

第二部 カテケーシスのプロセス

第5章 信仰の教育学
第6章 カトリック教会のカテキズム
第7章 カテケーシスの方法論
第8章 人々の生活の中のカテケーシス

第三部 地方教会におけるカテケーシス

第9章 カテケーシスの主体、キリスト教共同体
第10章 現代文化を背景としたカテケーシス
第11章 信仰のインカルチュレーションに奉仕するカテケーシス
第12章 カテケーシスに奉仕する組織

同文書は、すべての信者の弟子=宣教者としての本質、信仰を伝える新しい表現・方法を見つけるための取り組みと責任の必要を思い出させている。

全体を通し、「証し」「いつくしみ」「対話」が、行動上の三つの基本的な柱となっている。「証し」は、「教会は、改宗の強制によって成長するのではなく、魅力のために成長する」からであり、「いつくしみ」は、伝えられた信仰を信じうるものとする真のカテケーシスであるため、自由で無償の「対話」は、何も押し付けないが、愛から出発することで平和に貢献するからである。

第一部「教会の宣教的使命におけるカテケーシス」では、特にカテキスタの育成に注目、カテキスタたち自身が信仰の信じうる証し人として、宣教精神に基づき、無償性、献身、言動一致をもって奉仕することが重要であるとしている。また、他者の自由を尊重すると同時に、未成年者をはじめ、すべての人があらゆる形の虐待から完全に守られているように留意する必要にも触れている。さらに、人々と交わりを育てるための取り組みと、方法や表現においてクリエイティブであることをカテキスタたちに願っている。

第二部「カテケーシスのプロセス」では、家庭の重要さが浮かび上がる。家庭は活発な福音宣教の主役であり、単純で自然な形で信仰を生きるための本来の場所である。家庭でのキリスト教教育は、謙遜で憐み深い態度を通して、「教えより、証し」をもって伝えられる。一方で、今日の社会の、複雑で新しい家庭環境に対し、教会は信仰と、寄り添い、傾聴、理解をもって共に歩み、すべての人に信頼と希望を取り戻させるようにと招いている。また、「受容」「受け入れ」「連帯」「兄弟愛」などのキーワードと共に、移民や、受刑者、貧しい人々への配慮を説いている。

第三部「地方教会におけるカテケーシス」では、「共同体的な使徒職の模範」であり、クリエイティブなカテケーシスの場としての、小教区の役割がクローズアップされる。また、カトリック系の学校が、単なる教育機関から、福音の価値観を基礎にした教育計画と共に「信仰の共同体」となることを期待している。このセクションでは、カテケーシスにおけるエキュメニズム、諸宗教対話への取り組みも記される。さらに、今日のデジタル文化の良い面と悪い面を見極めながら、若者たちの成長と信仰の歩みを助けるよう促しているほか、科学と技術、生命倫理、性、エコロジー、労働などのテーマにも言及している。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために26 6月 2020, 14:19

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【クララ】聖ペトロ 聖パウロ使徒【祭】[2020.6.29.]

ガリラヤ湖の朝

初代教会の中心的な指導者である二人の使徒を祝うこの祭日についての最古の記録は、二五八年に書かれたものである。使徒の頭であるペトロは、エルサレムをはじめ広く宣教活動を行った。また、初めはイエスの弟子たちを迫害していたパウロは復活したキリストと出会って回心し、異邦人の使徒としてキリストの教えを宣べ伝えた。二人は異なる使命を与えられていたが、「キリストのもとに人々を一つに集め、信仰のあかしのためにともにいのちをささげ」(きょうのミサの叙唱)、ネロ皇帝による迫害の時代(六〇年代半ば)にローマで殉教した。(『毎日の読書』より)

第一朗読:使徒言行録12・1-11/第二朗読:2テモテ4・6-8、17-18/福音:マタイ16・13-19

【第一朗読】そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門のところまで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」

【第二朗読】[愛する者よ、]わたしは、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

【福音】朗読

【福音】イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府(よみ)の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

【オミリア】7分42秒

【信仰宣言】二ケア・コンスタンチノープル信条///

わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。

 わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。

 主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。

 ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。

 主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。

 わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。

 わたしは、聖なる、普遍(ふへん)の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世(らいせ)のいのちを待ち望みます。アーメン。

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【小郡】年間第13主日 説教【2020.6.28.】

さらなる苦しみの十字架

小郡の皆さんとの公開ミサ。年間第13主日11時からのミサ。参加者は45人でした。今日のミサは中継されました。

第一朗読:列王記4・8-11、14-16a/第二朗読:ローマ6・3-4、8-11/福音:マタイ10・37-42

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬(ほうむ)られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬこがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《自分に死んで、キリストのいのちを生きる—沈めの式(洗礼)の意味》あなたたちは知らないのですか。キリスト・イエスの内に身を沈めていただいたわたしたちはみな、キリストの死に、身を沈められたのです。死への沈めの式を受けることによって、わたしたちはキリストとともに埋葬(まいそう)されたのです。そのうえで、キリストが父を輝かし出すために死んだ者たちの中から立ち上がられたように、わたしたちもまた、新しいいのちを帯びてあゆむことになるのです。/もし、わたしたちがキリストとともに死ぬことができているのなら、キリストとともに生きることにもなると、信頼してあゆみを起こすことができます。死んだ者たちの中から立ち上がられたキリストは、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配できないと、わたしたちには分かっているからです。キリストが死んだのは、はずれた道に対して死んだということであり、それは、ただ一度で十分なことでした。キリストが生きているのは、神に対して生きているということです。同じようにあなたたちも、はずれた道に対して自分は死人であり、神に対しては、キリスト・イエスと一体となって生きているのだと考えてください。

【福音】朗読

【福音】[そのとき、イエスは使徒たちに言われた。]「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担(にな)ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣(つか)わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報(むく)いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《分裂をおそれずに立場を鮮明にせよ。小さくされた者が平和を生み出す》「わたしよりも父や母に愛着をもつ人は、わたしとあゆみを共にできない。わたしよりも息子やむすめに愛着をもつ人は、わたしとあゆみを共にできない。自分の十字架を受けとめ、わたしのあとについて来ない人は、わたしとあゆみを共にできない。自分自身を得ようとばかりする人は、自分をほろぼしてしまい、わたしのために自分を使いほろぼす人は、自分自身を得るのである」。

《小さくされた者への尊敬をこめた連帯が、神の国のいのちを共有させる》「あなたたちを受け入れる人は、わたしを受け入れるのであり、わたしを受け入れる人は、わたしをつかわされた方を受け入れるのである。預言者を、預言者とみとめて受け入れる人は、その預言者と同じむくいを受け、解放をこころざす人を、解放をこころざす人とみとめて受け入れる人は、解放をこころざすその人と同じむくいを受ける。この小さくされた者の一人を、わたしの弟子とみとめて、よく冷やした水一杯でも差しだす人は、はっきり言っておくが、わたしの弟子であるその小さくされた者と同じむくいを受けるのである」。

【説教】12分55秒

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【鳥栖】年間第13主日 説教【2020.6.28.】

鳥栖の皆さんとの公開ミサ。年間第13主日8時30分からのミサ。参加者は40人ほどでした。

第一朗読:列王記4・8-11、14-16a/第二朗読:ローマ6・3-4、8-11/福音:マタイ10・37-42

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬(ほうむ)られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬこがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《自分に死んで、キリストのいのちを生きる—沈めの式(洗礼)の意味》あなたたちは知らないのですか。キリスト・イエスの内に身を沈めていただいたわたしたちはみな、キリストの死に、身を沈められたのです。死への沈めの式を受けることによって、わたしたちはキリストとともに埋葬(まいそう)されたのです。そのうえで、キリストが父を輝かし出すために死んだ者たちの中から立ち上がられたように、わたしたちもまた、新しいいのちを帯びてあゆむことになるのです。/もし、わたしたちがキリストとともに死ぬことができているのなら、キリストとともに生きることにもなると、信頼してあゆみを起こすことができます。死んだ者たちの中から立ち上がられたキリストは、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配できないと、わたしたちには分かっているからです。キリストが死んだのは、はずれた道に対して死んだということであり、それは、ただ一度で十分なことでした。キリストが生きているのは、神に対して生きているということです。同じようにあなたたちも、はずれた道に対して自分は死人であり、神に対しては、キリスト・イエスと一体となって生きているのだと考えてください。

【福音】朗読

【福音】[そのとき、イエスは使徒たちに言われた。]「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担(にな)ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣(つか)わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報(むく)いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《分裂をおそれずに立場を鮮明にせよ。小さくされた者が平和を生み出す》「わたしよりも父や母に愛着をもつ人は、わたしとあゆみを共にできない。わたしよりも息子やむすめに愛着をもつ人は、わたしとあゆみを共にできない。自分の十字架を受けとめ、わたしのあとについて来ない人は、わたしとあゆみを共にできない。自分自身を得ようとばかりする人は、自分をほろぼしてしまい、わたしのために自分を使いほろぼす人は、自分自身を得るのである」。

《小さくされた者への尊敬をこめた連帯が、神の国のいのちを共有させる》「あなたたちを受け入れる人は、わたしを受け入れるのであり、わたしを受け入れる人は、わたしをつかわされた方を受け入れるのである。預言者を、預言者とみとめて受け入れる人は、その預言者と同じむくいを受け、解放をこころざす人を、解放をこころざす人とみとめて受け入れる人は、解放をこころざすその人と同じむくいを受ける。この小さくされた者の一人を、わたしの弟子とみとめて、よく冷やした水一杯でも差しだす人は、はっきり言っておくが、わたしの弟子であるその小さくされた者と同じむくいを受けるのである」。

【説教】6分23秒

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【小郡】年間第13主日前晩 説教【2020.6.27.】

さらなる苦しみの十字架

小郡の皆さんとの公開ミサ。年間第13主日前晩19時30分からのミサ。隣の修道院のシスター方を含めて20人でミサをしました。

第一朗読:列王記4・8-11、14-16a/第二朗読:ローマ6・3-4、8-11/福音:マタイ10・37-42

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬(ほうむ)られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬこがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《自分に死んで、キリストのいのちを生きる—沈めの式(洗礼)の意味》あなたたちは知らないのですか。キリスト・イエスの内に身を沈めていただいたわたしたちはみな、キリストの死に、身を沈められたのです。死への沈めの式を受けることによって、わたしたちはキリストとともに埋葬(まいそう)されたのです。そのうえで、キリストが父を輝かし出すために死んだ者たちの中から立ち上がられたように、わたしたちもまた、新しいいのちを帯びてあゆむことになるのです。/もし、わたしたちがキリストとともに死ぬことができているのなら、キリストとともに生きることにもなると、信頼してあゆみを起こすことができます。死んだ者たちの中から立ち上がられたキリストは、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配できないと、わたしたちには分かっているからです。キリストが死んだのは、はずれた道に対して死んだということであり、それは、ただ一度で十分なことでした。キリストが生きているのは、神に対して生きているということです。同じようにあなたたちも、はずれた道に対して自分は死人であり、神に対しては、キリスト・イエスと一体となって生きているのだと考えてください。

【福音】朗読

【福音】[そのとき、イエスは使徒たちに言われた。]「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担(にな)ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣(つか)わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報(むく)いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《分裂をおそれずに立場を鮮明にせよ。小さくされた者が平和を生み出す》「わたしよりも父や母に愛着をもつ人は、わたしとあゆみを共にできない。わたしよりも息子やむすめに愛着をもつ人は、わたしとあゆみを共にできない。自分の十字架を受けとめ、わたしのあとについて来ない人は、わたしとあゆみを共にできない。自分自身を得ようとばかりする人は、自分をほろぼしてしまい、わたしのために自分を使いほろぼす人は、自分自身を得るのである」。

《小さくされた者への尊敬をこめた連帯が、神の国のいのちを共有させる》「あなたたちを受け入れる人は、わたしを受け入れるのであり、わたしを受け入れる人は、わたしをつかわされた方を受け入れるのである。預言者を、預言者とみとめて受け入れる人は、その預言者と同じむくいを受け、解放をこころざす人を、解放をこころざす人とみとめて受け入れる人は、解放をこころざすその人と同じむくいを受ける。この小さくされた者の一人を、わたしの弟子とみとめて、よく冷やした水一杯でも差しだす人は、はっきり言っておくが、わたしの弟子であるその小さくされた者と同じむくいを受けるのである」。

【説教】6分52秒

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【小郡】【鳥栖】今週のミサ[2020.6.27.〜7.12.]

6月から主日のミサを公開しています。小郡教会も鳥栖教会も二つのグループに分けて、参加できる主日ミサ(日曜日)を決めています。このルールは厳密にお守りください。また、それぞれの教会で参加するための条件を決めています。新型ウイルス感染予防のためです。ご理解とご協力をお願いします。

鳥栖は6月は3グループに分けましたが、「密」になるようですので、7月から3グループ(A・B地区/C・D地区/E・F地区)に分けます。詳しくはそれぞれの教会の「お知らせ」をご覧ください。

なお、7月から主日のミサ時間が変わります。土曜日の主日前晩のミサは変わらず小郡教会で19時30分からですが、日曜日は小郡教会は8時30分から、鳥栖教会は11時からになります。

小郡・鳥栖それぞれの教会での主日のミサを毎月1度、ライブ中継をし、その後編集したものをユーチューブ(YouTube)で配信しています。次回は小郡教会の6月28日11時のミサがライブ中継されます。

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【基山】年間第12土曜日[2020.6.27.]

第一朗読:哀歌2・2、10-14、18-19/福音朗読:マタイ8・5-17

*今朝は豪雨のため基山教会でのミサは急遽中止にしました。

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、]イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願(こんがん)し、「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風(ちゅうぶ)で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕(しもべ)はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』といえば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国(みくに)の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕(しもべ)の病気はいやされた。イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患(わずら)いを負い、わたしたちの病を担(にな)った。」

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《イエスは、宗教のことなる百人隊長に、まことの信仰をみとめる》さて、イエスがカファルナウムに入ると、一人の百人隊長が近づいて来て、イエスに願って、「主よ、わたしの召し使いは、からだが麻痺(まひ)して家にねたきりで、ひどく苦しんでいます」と言った。それでイエスは、「わたしが行って、手当てをしよう」と言った。すると、百人隊長は言った。「主よ、わたしは、あなたをわが家の屋根の下におむかえできるような者ではありません。ただひとこと、言ってください。それで召し使いは、いやされます。わたしも権威の下にあるものですが、わたしの下にも兵隊がおり、その一人に『行け』と言えば、行き、べつの一人に『来い』と言えば、来ます。また、しもべに『これをやれ』と言えば、します」。これを聞いてイエスは感銘(かんめい)をうけ、ついて来た人たちに言った。「はっきり言っておく。イスラエルのだれ一人にも、これほどの信頼にみちた態度(信仰)を見たことはない。言っておくが、東と西からおおぜいの人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブとともに宴席につく。しかし、ダビデ王国の子孫たちは、外のくらやみに追いだされるのだ。そこにあるのは、なげきと歯ぎしりである」。そして、百人隊長に言った。「行きなさい。あなたが信頼してあゆみを起こすとおりになるように」。百人隊長の召し使いは、ちょうどその時にいやされた。

《イエスは、病気の人、悪霊につかれた人たちの手当てをする》イエスは、ペトロの家に行ったとき、ペトロのしゅうとめが熱病にかかってねこんでいるのを見た。イエスが彼女の手をにぎると、熱が去った。。彼女は起きて、イエスをもてなした。夕刻になると、人々が悪霊につかれた人をおおぜい、イエスのもとにつれて来た。イエスは、ひとことで霊を追い出し、ぐあいをわるくしている人たちみんなの手当てをした。こうして、預言者イザヤをつうじて言われたことが実現した。『かれはわたしたちの弱さを負い、わたしたちの病を担った』。(イザヤ53・4)

【オミリア】3分15秒

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【クララ】年間第12金曜日[2020.6.26.]

ナイアガラの滝

第一朗読:列王記下25・1-12/福音朗読:マタイ8・1-4

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、]イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心(みこころ)ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。  《らい病の人は、イエスが「けがれ」を共有したときに、清められた》イエスが山からおりて来ると、おおぜいの民衆がついて来た。そのとき、一人のらい病をわずらっている人が近づいて来てひれ伏し、「主よ、あなたがたその気になれば、わたしを清くすることができるはずです」と言った。イエスは手をのばしてその人を抱きしめ、「わたしは、のぞむ。清くなるように」と言うと、たちまち、らい病は清められた。イエスはその人に言った。「だれにも言わないように気をつけなさい。ただ行って、祭司にからだを見せ、祭司たちへの証明のために、モーセが定めた供えものをささげなさい」。

【オミリア】12分48秒

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