月別アーカイブ: 2020年7月

人身取引反対世界デー:一人ひとりの意識の向上を

バチカン放送日本語課[2020.7.30.]より

7月30日、国連が定める「人身取引反対世界デー」が記念された。

この日、教皇フランシスコは、ツイッターを通し「人身取引は、いまだ現代社会のからだの傷であり続けています。人間の商品化の無実の被害者のために働くすべて人々に、心から感謝します。まだやるべきことはたくさん残っています」とメッセージされた。

人身取引の被害者は、世界に4000万人以上と推定される。 国連薬物犯罪事務所(UNODC)の報告書によれば、そのおよそ3分の1が未成年者だという。そして、全体の71%が、成人女性と少女たちからなるという。

また、国際労働機関(ILO)は、世界で約2500万人が強制労働の状態にある、としている。

教皇庁人間開発省・移住者難民部門次官補マイケル・チェルニー枢機卿は、人身取引問題に対するカトリック教会の取り組みの中で最も重要なものとして、修道女たちのネットワーク「タリタ・クム」を挙げる。

「タリタ・クム」は、人身取引と闘うための、奉献生活者たちの国際ネットワーク。2009年、人身取引に対抗する活動を分かち合い、調整し、強化することを目的に設立された。5大陸、70カ国の男女の修道者らが、ネットワークを通し、協力し合い、情報を交換し、それぞれの背景や文化の中でこの問題に取り組んでいる。

同ネットワークは、マルコ福音書(5,41)にある、会堂長の一人ヤイロの幼い娘が死んだと思われた時、イエスがその子どもの手を取って「タリタ、クム」(「少女よ、わたしはあなたに言う、起きなさい」の意)と言われると、少女は起き上がって、歩き出したというエピソードから、その名前をとっている。

チェルニー枢機卿は、人間開発省・移住者難民部門は、「タリタ・クム」の活動に寄り添い、支援や助言をしながら、人身取引問題について協力し合っていると述べた。

また、近年、世界各国が人身取引問題に関心を示していることについて、同枢機卿は、人身取引の被害者一人ひとりが、具体的な男性や女性や子どもたちであるように、最終的には、この問題に対し、世界中の市民一人ひとりの努力、意識の向上が一番重要となる、と述べた。

教会でもこの問題に対応し、予防や、解放のための支援、社会復帰などを目的とする、多くの新しい使徒職が生まれていることを、同枢機卿は紹介しつつ、同時に、わたしたち一人ひとりの選択、たとえば、どの携帯電話を買うか、どこに旅行に行くかなど、自分の選択が何らかの形で人身取引に組するものにならないかを、よく意識することが大切、と話した。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために30 7月 2020, 16:17

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【クララ】聖イグナチオ(ロヨラ)【2020.7.31.】

フィリピン・ミンダナオ島

一四九一年、スペイン北部のロヨラに生まれる。宮廷と軍隊での生活を送っていたが、後に神に立ち帰り、パリで神学を学んで最初の同志を集め、やがてローマで正式にイエズス会を創立した。著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行い、その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。一五五六年にローマで死去。(『毎日の読書』より)

第一朗読:エレミヤ26・1-9/福音朗読:マタイ13・54-58

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、イエスは、]故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚(おどろ)いて言った。「この人はこのような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは「預言者が敬(うやま)われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。 《「石切りのせがれ」「母親はあのマリア」とさげすまれるイエス》 さて、イエスは自分の故郷の村へ来て、会堂で真実をときあかしはじめたが、人々はおどろきあきれて言った。「このような知恵と力あるわざを、この男はどこから得たのだろう。この男は石切りのせがれではないか。母親はあのマリアで、兄弟は、ヤコブに、ヨセフに、シモンに、ユダではないか。その姉妹もみな、われわれの前にいるではないか。こういうことをみな、この男はどこから得たのか」。みな、イエスのことでつまずいた。イエスはその人たちに言った。「預言者は、自分の故郷と家族のあいだでは、軽んじられるものだ」。そして、人々が信頼をもってあゆみを起こそうとしなかったため、そこでは力あるわざをあまり行なうことはなかった。

【オミリア】11分30秒

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教皇「パンデミック下に希望をもたらす主の復活」

バチカン放送日本語課[2020.7.29.]より

教皇フランシスコは、新型コロナウイルス危機をめぐるキリスト教的考察をテーマにした本『交わりと希望』に、序文を寄せられた。

バチカン出版局(広報省)から発行されたこの書は、教皇庁キリスト教一致推進評議会名誉議長ヴァルター・カスパー枢機卿とゲオルグ・オーガスティン神父監修によるもの。同書は、今年6月、ドイツ語で発表された『コロナウイルス危機においてキリスト者であること』のイタリア語版で、今回の発行にあたり『交わりと希望』と新たに題された。

教皇は同書の序文で、突然の嵐のように襲った新型コロナウイルスによる危機が、世界のいたるところで、わたしたちの家庭や仕事や社会での生活を変えてしまった、と振り返り、家族・友人を失って悲しむ人々、経済的な窮地に立たされた人々、復活祭を共同体で公的に祝うことのできなかった信者たちに思いを向けている。

この劇的な状況は、人間のもろさや不確かさを浮き彫りにし、自分たちの生活設計の基盤であった物事に対する確信を揺るがせることになった、と教皇は述べている。

また、パンデミック危機は、わたしたちの生活の中の幸福やキリスト教信仰の宝について考えさせ、この嵐の中で自分たちを支えるための根をどこに深く張るべきかを考察させた、とも記している。

その中で、わたしたちは忘れていた人生の大切なことを思い出すと共に、何が一番重要で、何がそうでないかを熟考することになった。さらに、この緊急事態において、わたしたちは他者の連帯に依存していることを知ると共に、自分の人生を新しい方法で他者への奉仕に捧げるようにとの招きを感じることになった、と教皇は述べた。

この危機のさなかに祝った復活祭で、わたしたちが聞いた死に対するいのちの勝利のメッセージは、キリスト者はパンデミックによって麻痺したままではいけない、ということを教え、主の復活は希望と信頼と勇気をもたらし、わたしたちを連帯の中に強めた、と教皇は書いている。

わたしたちはこの危機の中で、別の種類の「感染」、心から心へと伝わる愛を学んだ、と強調する教皇は、特に医療関係者、司祭らの自発的で英雄的な献身を思い起し、感謝を表された。

新型コロナウイルス危機の第一段階では、公開ミサをとり行うことはできず、それは多くの信者たちにとって、エウカリスチア的な苦しい断食の時であったが、一方で、キリストの名のもとに二人、三人と集う時、その中に主がおられることを信者たちは体験した、と教皇は指摘。

メディアを介してのミサは、緊急事態下の一つの解決であったが、バーチャルな放送は、聖体祭儀における主の真の現存にとって代わることはできないために、今、通常の典礼生活に戻りつつあることをうれしく思う、と綴られた。

教皇は、コロナウイルス危機におけるキリスト者を考察する同書が、人々に新しい希望と連帯を生むことを願われた。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために29 7月 2020, 16:32

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「毎日天の国の宝を探し求めよう」教皇、日曜正午の集い

バチカン放送日本語課[2020.7.26.]より

教皇フランシスコは、7月26日、バチカンで日曜正午の祈りの集いを行われた。

教皇フランシスコは、7月26日(日)、バチカンの広場の巡礼者たちと共に、正午の祈りを唱えられた。

祈りの前の説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、マタイ福音書の「天の国」のたとえ(13,44-52)を取り上げられた。

教皇の説教は以下のとおり。

**********

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日の主日の福音(参照:マタイ13,44-52)は、福音記者マタイが天の国のたとえに捧げたこの章の最後の部分に相当します。この部分は素早く描写された3つの非常に短いたとえからなります。それらは、隠された宝のたとえ、高価な真珠のたとえ、そして湖に投げ降ろされた網のたとえです。

このうちの最初の2つについて考えてみたいと思います。ここでは、天の国が、畑に隠された宝と、非常に高価な真珠という、二つの異なる「貴重な」存在にたとえられています。真珠を見つけた人も、畑の宝を見つけた人も、その反応はつまるところ同じです。宝を見つけた人も、真珠を見つけた商人も、今ではすっかり彼らの心を占めているもののために、すべてを売り払います。

この二つのたとえの類似性を通して、イエスは天の国の構築に参与するようにとわたしたちを招きます。そこではキリスト教生活と天の国の本質的な特徴が示されます。それは、天の国に完全にふさわしい者は、そのためにすべてを賭けることができる、勇気のある人々であるということです。

実際、二つのたとえの、宝を見つけた人も、商人も、物的な安心を捨てて、持ち物全部を売り払っています。ここからわかるのは、天の国の構築は、神の恵みだけではなく、人間側の自分を快く差し出す姿勢が必要だということです。すべては神の恵みの業です。わたしたちに要るのは、ただそれを受け入れるための心構えです。恵みに抵抗してはいけません。恵みはすべてを行いますが、そこに「わたしの」責任と自分を差し出す態度が要るのです。

宝を見つけた人と商人の、探し求め、最も貴重なもののために全財産を投げ打つ態度は、決意ある、ラディカルな態度です。言わば、往復ではない、往路だけの生き方です。それだけではありません。彼らは宝を見つけたことで、喜びをもって、その生き方を選んでいます。わたしたちもまた、福音書に登場するこの二人の態度をとり、健全な焦燥をもって天の国を探し求める者となるよう招かれています。それは、天の国の追求と構築を妨げる、わたしたちの世俗的な安泰という重荷、すなわち所有へのあこがれ、富と権力への渇き、利己主義な考えを捨てることを意味します。

今日、ある人たちの人生が平凡でぼんやりしたものになるとしたら、それはおそらく彼らが真の宝を探しに行かなかったからでしょう。たとえ魅惑的であってもはかない物事、眩くてもすぐに闇に転じてしまう幻想に、彼らが満足していたからでしょう。それに対して、天の国の光は、花火のようなものではありません。花火の光は、一瞬のものですが、天の国の光は、わたしたちを一生照らします。

天の国は、この世が与える表面的な事柄や、平凡な生き方とは対極にあります。それは、毎日の生活を新たにし、それを新しい地平に向かって広げる宝です。実際、この宝を見つけた人は、創造的で探求的な心を持っています。彼は繰り返さず、作り出す人、新しい道をたどり行く人です。その道とは、神を愛し、他者を愛し、自分自身を真に愛させる道です。天の国への道を歩む者のしるしは、創造性、そして探求の態度です。また、創造性とは人生を受け取り、それを様々な形で与えようとすることです。

隠された宝、高価な真珠とは、イエスにほかなりません。イエスはわたしたちに喜びを、世のすべての喜びを起こさせずにはいません。それは自分の人生の意味を発見する喜び、聖性の冒険に取り組むことの喜びです。

わたしたちが毎日天の国の宝を探し求め、わたしたちの言葉と態度が、神がイエスを通して与えてくださった愛を反映するものとなるよう、聖なるおとめマリアの助けを願いましょう。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために26 7月 2020, 18:49

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信徒家庭いのち省:若者からお年寄りに優しさを伝えよう

バチカン放送日本語課[2020.7.28.]より

教皇庁信徒・家庭・いのち省は、高齢者たちに寄り添いの心を伝えるよう世界中の若者に呼びかけた。

教皇庁信徒・家庭・いのち省は、「お年寄りに優しさを伝える行為を」と、世界中の若者に呼びかけた。

「お年寄りたちは、あなたの祖父母」と名付けられたこのキャンペーンは、孤独な高齢者たちに寄り添うようにとの教皇フランシスコの勧めを、具体化するよう若者たちを励ますもの。

カトリック教会の暦で、聖ヨアキムと聖アンナが記念された7月26日(日)、教皇は正午の祈りで、自宅や施設にいるお年寄りたちが孤独を感じることがないように、「愛の創造力」を活かし、電話やビデオ通話など様々な方法をもって、高齢者たちに抱擁をおくるよう、若者たちを招かれた。

パンデミックが与えるリスクは、高齢者たちにとって特に高く、感染症拡大防止のための新しい生活スタイルは、ただでさえ希薄になりがちな世代間の交流をさらに弱めつつある。

これに対し、信徒・家庭・いのち省は、ソーシャル・ディスタンスを尊重した生活は、高齢者たちを孤独の中に置き去ることを意味するのではない、と述べている。

こうしたことから、同省は、教皇のアピールにあるように、各国の衛生上の規則を守りつつ、近所や小教区の最も孤独な高齢者たちのもとを、電話や映像などを通して、バーチャルに訪れ、お年寄りたちに寄り添いの気持ちを示すよう、若者たちに勧めている。

また、衛生上の状況が許す時と場合には、寄り添いをより具体化するために、自らお年寄りを訪ねることもできる、と述べている。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために28 7月 2020, 15:43

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【クララ】年間第17木曜日【2020.7.30.】

第一朗読:エレミヤ18・1-6/福音朗読:マタイ13・47-53

【第一朗読】 主からエレミヤに臨(のぞ)んだ言葉。「立って、陶工(とうこう)の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊(こわ)し、それを作り直すのであった。そのとき主の言葉がわたしに臨んだ。「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土(ねんど)が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、イエスは人々に言われた。]「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器(うつわ)に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「わかりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去[った。]

【オミリア】5分59秒

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【クララ】聖マルタ【2020.7.29.】

マルタはマリアとラザロの姉妹であった。ベタニアではイエスをあたたかくもてなし、また、イエスは彼女の祈りにこたえて、死んだラザロを復活させた。(『毎日の読書』より)

第一朗読:1ヨハネ4・7-16/福音朗読:ヨハネ11・19-27 または ルカ10・38-42

【第一朗読】 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は、神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独(ひと)り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子(おんこ)をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全(まっと)うされているのです。神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。イエスが神の子であることを公(おおやけ)に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、そのひとも神の内にとどまります。わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。

【答唱詩篇】 詩篇34 主を仰ぎ見て、光を受けよう。主が訪れる人の顔は輝く。//主をたたえよう、明け暮れ賛美をくちにして。主はわたしたちの口のほこり、苦しむ時の心のよろこび。/心を合わせて主をあがめ、ともにその名をたたえよう。主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、]マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰(なぐさ)めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

【オミリア】4分36秒

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【クララ】年間第17火曜日【2020.7.28.】

第一朗読:エレミヤ14・17b-22/福音朗読:マタイ13・36-43

【第一朗読】 [あなたは彼らにこの言葉を語りなさい。]「わたしの目は夜も昼も涙を流し とどまることがない。娘なるわが民は破滅(はめつ)し その傷はあまりにも重い。野に出て見れば、見よ、剣(つるぎ)に刺された者。町に入って見れば、見よ、飢えに苦しむ者。預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」あなたはユダを退(しりぞ)けられたのか。シオンをいとわれるのか。なぜ、我々を打ち、いやしてはくださらないのか。平和を望んでも、幸いはなく いやしのときを望んでも、見よ、恐怖のみ。主よ、我々は自分たちの背(そむ)きと 先祖の罪を知っています。あなたに対して、我々は過ちを犯しました。我々を見捨てないでください。あなたの栄光の座を軽んじないでください。御名(みな)にふさわしく、我々と結んだ契約を心に留め それを破らないでください。国々の空(むな)しい神々の中に 雨を降らしうるものがあるでしょうか。天が雨を与えるでしょうか。我々の神、主よ。それをなしうるのはあなただけではありませんか。我々はあなたを待ち望みます。あなたこそ、すべてを成し遂(と)げる方です。

【答唱詩篇】 詩篇130 主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。//神よ、深いふちから あなたに叫び、嘆き祈るわたしの声を 聞いてください。/イスラエルよ、イスラエルよ、主を待ち望め。主はすべての罪から、イスラエルを救われる。

【福音朗読】 音声

【福音朗読】 [そのとき、]イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔(ま)く者は人の子、畑は世界、良い種は御国(みくに)の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣(つか)わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

【オミリア】14分47秒

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聖ヨアキムと聖アンナの日:教皇「お年寄りたちを大切に」

バチカン放送日本語課[2020.7.26.]より

聖ヨアキムと聖アンナの日、教皇フランシスコは、お年寄りたちとの絆を育むよう、若者たちを招かれた。

教皇フランシスコは、7月26日(日)、正午の祈りの集いの中で、お年寄りたちを大切にするよう、若者たちに願われた。

教皇は、この日カトリック教会の暦で、聖ヨアキムと聖アンナが記念されたことを紹介。イエスの「祖父母」にあたる二人を記念するこの機会に、高齢者たち、特に何か月も家族にも会えず、家や施設で一人でいるお年寄りに、優しさを示すよう、招かれた。

「親愛なる若者たち、これらのお年寄りの一人ひとりが皆さんのおじいさんです。彼らを独りぼっちにしないでください。愛の想像力を働かせましょう。電話やビデオ通話をしたり、メッセージを送ったり、話を聴いたり、衛生上の規則を尊重の上で、彼らを訪問したりしてください。彼らに抱擁を送ってください。」

教皇はこのように勧めると共に、自分たちのルーツであるお年寄りたちとの絆を育むよう、若者らに次のように話しかけられた。

「お年寄りたちは皆さんのルーツです。根とつながっていない木は育つことができません。花も咲かず、実もなりません。それゆえに、皆さんにとって、自分たちの根と一致し、つながっていることが大切です。『木が咲かせる花は、地中にあるものから来る』とわたしの祖国の詩人は言います。こうしたことから、わたしたちのすべての祖父母たちに、大きな拍手を送るよう、皆さんをお招きします。」大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために26 7月 2020, 18:05

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