月別アーカイブ: 2020年9月

【クララ】聖ヒエロニモ 年間第26水曜日 オミリア2020.9.30.

三四〇年頃、ダルマチア(旧ユーゴスラビア西部)のストリドンに生まれる。ローマで古典を学びそこで洗礼を受けた。禁欲生活に入り、東方に赴(おもむ)いて司祭に叙階された。ローマに戻るとダマソ教皇の秘書となり、聖書のラテン語訳(ヴルガタ訳)に着手し、また修道生活を広めた。やがてベツレヘムに移り、困難な状況にある教会のために尽くし、聖書の注解書に代表される多くの著作を残した。四二〇年にベツレヘムで死去。(『毎日の読書』より)

第一朗読:ヨブ9・1-12、14-16/福音朗読:ルカ9・57-62

【集会祈願】 いつくしみ深い父よ、あなたは聖ヒエロニモに、聖書を学び、深く味わう恵みをお与えになりました。信じる民があなたのことばのうちにいのちの泉を見いだし、日々生きる力を汲(く)むことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

【福音朗読】 音声

【福音】 [そのとき、イエスと弟子たち]が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐(きつね)には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕(まくら)する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬(ほうむ)りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤(すき)に手をかけてから後ろを顧(かえり)みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

【本田哲郎訳】*典礼での朗読には使用することはできません。 《もどっていける身分や家族への依存(いぞん)をすてよ》 一行が道をすすんでいると、一人の人がイエスに、「あなたが行かれるところなら、どこへでもついて行きます」と言った。すると、イエスはその人に、「きつねには穴があり、空の鳥にはねぐらがある。しかし、人の子には頭を横たえるところもないのだ」と言った。イエスはほかの人に、「わたしについて来なさい」と言った。すると、その人は、「主よ、家にもどって、先に父親を見送ってからにしてください」と言った。すると、イエスはその人に、「死者を見送るのは、身内の死者たちに任(まか)せたらいい。あなたは行って、神の国を告げ知らせなさい」と言った。またべつの人が、「主よ、あなたについて行きます。でも、その前に家族に別れを告げさせてください」と言った。すると、イエスはその人に、「鋤(すき)に手をつけてから、うしろに目を向けているようでは、神の国にしっかり取りくんでいるとはいえない」と言った。

【オミリア】11分18秒

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【小郡】年間第26主日:世界難民移住移動者の日 説教【2020.9.27.】

小郡教会の公開ミサ。37人の皆さんと年間第26主日のミサを8時30分から行いました。この日のミサはライブ中継されました。

第一朗読:エゼキエル18・25-28/第二朗読:フィリピ2・1-11、または2・1-5/福音:マタイ21・28-32

【第一朗読】 [主は言われる。]「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔(く)い改めて、自分の行ったすべての背(そむ)きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。

【第二朗読】 [皆さん、]あなたがたに幾(いく)らかでも、キリストによる励(はげ)まし、愛の慰め、”霊”による交わり、それに慈(いつく)しみや憐(あわ)れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱(いだ)き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心(りこしん)や虚栄心(きょえいしん)からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優(すぐ)れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。    《キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(こしつ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名(みな)にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公(おおや)けに宣(の)べて、父である神をたたたえるのです。》

先週から福音朗読の直後、説教の前に短い沈黙の時間をとるようにしました。ミサの第一部「ことばの典礼」で聞いた神の言葉の中から自分に響いたみ言葉を探すためです。神はみ言葉を聞く一人一人に語りかけています。

【福音】 [そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。]「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知(しょうち)しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが、「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人(ちょうぜいにん)や娼婦(しょうふ)たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

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教皇、コーカサス地方の平和を祈る

バチカン放送日本語課[2020.9.27.]より

教皇フランシスコは、コーカサス地方での軍事衝突に憂慮を表し、対話を呼びかけられた。

教皇フランシスコは、緊張の高まるコーカサス地方に、対話をアピールされた。

アルメニアとアゼルバイジャンの係争地ナゴルノカラバフで、9月27日、両国軍による大規模な戦闘が発生、多くの死傷者を出した。

教皇は、同日バチカンで行われた正午の祈りで、コーカサス地方の軍事衝突に憂慮を表明。

同地方の平和を願うと共に、善意と兄弟愛の具体的な行為を通し、武力ではなく、対話と協議による問題解決を、対立する双方に呼びかけられた。

教皇は、コーカサスの平和のために沈黙のうちに祈るよう、信者らを招かれた。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために27 9月 2020, 14:38

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教皇、パンデミック下の観光関係者に励まし

バチカン放送日本語課[2020.9.27.]より

教皇フランシスコは、日曜の集いで、「世界難民移住移動者の日」と「世界観光の日」、また、ナポリでとり行われた列福式に言及された。

9月27日(日)、カトリック教会は「世界難民移住移動者の日」を記念した。

同日、教皇フランシスコは、正午の祈りの集いをバチカンで行われた。

聖ペトロ広場には、あいにくの雨にもかかわらず、大勢の巡礼者たちが集い、その中には「世界難民移住移動者の日」に合わせて訪れた各国の移民たちの姿も見られた。

広場の移民たちに挨拶をおくられた教皇は、今年の「世界難民移住移動者の日」のテーマである「国内避難民」に触れ、イエスとその家族に起きたように、逃げざるを得ない状況のために避難民となった人々、またこれらの避難民に手を差し伸べる人々のために祈られた。

また、この日は、「世界観光の日」が記念された。

教皇は、多くの国々にとって重要な産業である観光が、パンデミックの影響で深刻な影響を受けていることを指摘。

家族経営の小さな企業や若い人たちをはじめ、この分野で働く人々に励ましをおくると共に、皆が現在の困難から一刻も早く解放されるようにと祈られた。

教皇はこの集いで、前日9月26日、イタリア南部ナポリで、マリア・ルイージャ・デル・サンティッシモ・サクラメント修道女の列福式がとり行われたことを紹介し、新福者を与えてくださった神に感謝を捧げられた。

そして、聖十字架礼拝フランシスコ修道女会の創立者である新福者の、カルワリオの神秘の観想と、疲れを知らぬ愛徳の業の実践に倣うよう、信者らを招かれた。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために27 9月 2020, 15:33

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【クララ】聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使 オミリア2020.9.29.

聖クララ修道院チャペル

ローマに建てられた聖ミカエル大聖堂の献堂は五世紀に行われ、ヒエロニモ殉教録に加えられた。現在ではこれは記念されず、ミカエルのほかにガブリエルとラファエルが加えられてともに記念するようになった。神の使いである天使たちと心を合わせて神を賛美し、その取り次ぎを願う祝日である。(『毎日の読書』より)

第一朗読は、ダニエル書またはヨハネの黙示録のどちらかを用いる:ダニエル7・9-10、13-14 または 黙示録12・7-12a/福音朗読:ヨハネ1・47-51

【集会祈願】 いつくしみ深い神よ、あなたは限りない英知をもって天使と人間にそれぞれ使命をお与えになりました。あなたに仕える天使の助けによって、わたしたちもゆだねられた使命を果たすことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

【福音朗読】 音声

【福音】 [そのとき、]イエスは、ナタナエルが御自分の方へくるのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

【オミリア】4分45秒

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パンデミック危機は「選択の時」「回心と変容の機会」教皇、国連総会に

バチカン放送日本語課[2020.9.25.]より

教皇フランシスコは、第75回国連総会のハイレベルウィークに、ビデオを通しメッセージをおくられた。

今年2020年は、国連の創設から75年目にあたる。

9月21日より、ニューヨークの国連本部では、第75回国連総会のハイレベルウィークが開催されている。

教皇フランシスコは、2015年9月に行われた国連本部訪問からまさに5年目にあたる、この9月25日、同会議にビデオを通しメッセージをおくられた。

今日、世界を襲っているパンデミックは、多くの人の命を奪い、現行の経済・医療・社会のシステムを問いながら、わたしたち人間の脆弱さを露出している、と教皇はこのメッセージで述べた。

パンデミックは、この試練の時を、何が重要で何がそうでないかを選ぶ、「選択の時」とするよう招いている、と教皇は述べると共に、この危機を、資源の不当な分配によって貧富の差を広げている、わたしたちの生活スタイルや経済・社会構造を再考するための、回心、変容の機会として示された。

わたしたちはどちらかを選択すべき、2つの道を前にしている、と教皇は語り、その道とは、世界的な新たな共同責任、正義に基づく連帯、神の御計画である人類の平和と一致を表す、多極性の強化に導く道、もう一つは、自己完結的態度、自国中心主義、保護主義、個人主義、貧しく弱い人々を排除しつつ孤立に導く道である、と話した。

パンデミックは、公衆衛生の促進と、すべての人が基本的な治療を受けられる権利の促進を急務として提示した、と語る教皇は、Covid-19に対するワクチン、病者の治療に必要な技術へのアクセスを保証し、特に貧しく弱い人に配慮するよう、政治責任者らにアピールされた。

同時に、教皇は、パンデミックが仕事に与えた影響に触れ、特に不確定要素や、ロボット化によって、不安定な状態に置かれた労働界に思いを向けられた。

この危機は方向の転換を迫り、わたしたちはそのための財源や技術を持っているが、この転換は、今ではすっかり広がり定着した「切り捨ての文化」を乗り越えるだけの、もっと強い倫理的基盤を必要としている、と教皇は述べた。

そして、この「切り捨ての文化」の根源には、人間の尊厳の尊重の大きな欠如、人間を矮小化したビジョンを持ち、基本的人権の普遍性を否定するイデオロギーの促進がある、と警告した。

教皇は、この危機は、国連にとっての一つのチャンス、より兄弟愛と憐みに満ちた社会を生み出すための一つの機会である、と述べ、超裕福層と慢性的な貧困層との間に急速に広がる格差に対応し、経済的な不正義に終止符を打つよう、国際共同体の努力を願われた。

また、教皇は環境問題に言及。環境危機と社会危機の密接な関係を示しながら、環境保護とは、貧困や締め出しと闘うための統合的なアプローチを要するもの、と説かれた。

近年のエコロジーに対する人々の意識の向上や活動意欲を評価しつつ、教皇は、前世代が引き起こした問題を、次世代に重荷として背負わせぬよう、気候変動による悪影響軽減のために人的・経済的・技術的資源を充てる政治的意志の有無を、真剣に問わなくてはならない、と話された。

教皇は、パンデミック危機が子どもたちに与えている影響にも目を向け、多くの子どもたちが学校に戻れないでいる一方で、児童労働や虐待、栄養失調が増える危険を憂慮された。

ある国々や国際組織が堕胎を一種の「本質的サービス」のように推進していることを教皇は遺憾とされ、いのちを否定することが問題解決となるかのごとく、堕胎が容易になることは痛ましいと教皇は話された。

同様に、女性の置かれた状況にも触れた教皇は、社会のあらゆるレベルで女性の活躍が見られるようになった反面、女性たちがいまだ隷属や、人身取引、暴力、搾取の犠牲となっている現実を見つめられた。

メッセージの最後に、教皇は、貧困、感染症、テロリズムなど、平和と安全に対する主要な脅威の間に、核兵器を含めた軍拡問題がある、と指摘。

貴重な財源を乱費し続けるよりは、人々の統合的発展と自然環境保全のために使用すべきである、と語った。

教皇は、武器保有が個人と社会の安全につながるというよこしまな論理を覆す必要がある、と述べ、このような論理は兵器産業を富ませ、人民間に不信と恐れを育てるだけである、と話された。

中でも、核兵器による威嚇は、互いの壊滅という脅威に基づく恐怖心を煽るものであり、その結果として、人民間の関係を損ない、対話を妨げることになる、と述べた。

それゆえ、核軍縮、核兵器不拡散、核兵器禁止に関する主な国際条約を支持することの重要性を強調しつつ、教皇は、次回の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が、一刻も早く核軍拡競争を止め、核軍縮への道を歩むための、具体的な行動を表すものとなることを希望された。

さらに、教皇は、国連が平和の工房となり、安全保障理事会、特に常任理事国メンバーが、より一致と決意をもって行動することを望まれた。

今、この危機の時、わたしたちのなすべきことは、「わたしたちの共通の家と共通の計画について再考すること」である、と述べた教皇は、国々を近づけ、一致させるために創設された国連が、人民の架け橋となり、わたしたちが直面しているこの挑戦を、望ましい未来を再び構築するための機会に変容させていくことができるようにと祈られた。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために25 9月 2020, 15:55

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【小郡】年間第26主日前晩:世界難民移住移動者の日 説教【2020.9.26.】

小郡教会の公開ミサ。34人の皆さんと年間第26主日のミサを19時30分から行いました。

第一朗読:エゼキエル18・25-28/第二朗読:フィリピ2・1-11、または2・1-5/福音:マタイ21・28-32

【第一朗読】 [主は言われる。]「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔(く)い改めて、自分の行ったすべての背(そむ)きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。

【第二朗読】 [皆さん、]あなたがたに幾(いく)らかでも、キリストによる励(はげ)まし、愛の慰め、”霊”による交わり、それに慈(いつく)しみや憐(あわ)れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱(いだ)き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心(りこしん)や虚栄心(きょえいしん)からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優(すぐ)れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。    《キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(こしつ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名(みな)にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公(おおや)けに宣(の)べて、父である神をたたたえるのです。》

【福音朗読】 音声

先週から福音朗読の直後、説教の前に短い沈黙の時間をとるようにしました。ミサの第一部「ことばの典礼」で聞いた神の言葉の中から自分に響いたみ言葉を探すためです。神はみ言葉を聞く一人一人に語りかけています。

【福音】 [そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。]「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知(しょうち)しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが、「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人(ちょうぜいにん)や娼婦(しょうふ)たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

【説教】8分24秒

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【基山】年間第25土曜日 オミリア2020.9.26.

第一朗読:コヘレト3・1-11/福音朗読:ルカ9・18-22

【福音朗読】 音声

【福音】 イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋(たず)ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」イエスは弟子たちを戒(いまし)め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥(はいせき)されて殺され、三日目に復活することになっている。」

【オミリア】5分35秒

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【クララ】年間第25金曜日 オミリア2020.9.25.

第一朗読:コヘレト3・1-11/福音朗読:ルカ9・18-22

【第一朗読】 何事にも時があり 天の下(した)の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜(ぬ)く時 殺す時、癒’(いや)す時 破壊(はかい)する時、建てる時 泣く時、笑う時 嘆(なげ)く時、踊る時 石を放(はな)つ時、石を集める時 抱擁(ほうよう)の時、抱擁を遠ざける時 求める時、失う時 裂(さ)く時、縫(ぬ)う時 黙(もく)する時、語る時 愛する時、憎(にく)む時 戦いの時 平和の時。人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務(つと)めを見極(みきわ)めた。神はすべてを時宜(じぎ)にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなされる業(わざ)を始めから終わりまで見極めることは許されていない。

【答唱詩篇】 詩篇139 《神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる。》 神よ、あなたはわたしをこころにかけ、わたしのすべてを知っておられる。わたしがすわるのも、立つのも知り、遠くからわたしの思いを見通される。/神よ、あなたの思いはきわめがたく、そのすべてを知ることはできない。あなたのはからいは限りなく、生涯、わたしはその中に生きる。

【福音朗読】 音声

【福音】 イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋(たず)ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」イエスは弟子たちを戒(いまし)め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥(はいせき)されて殺され、三日目に復活することになっている。」

【オミリア】4分27秒

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「相互の協力のもと、未来を共に築く」教皇一般謁見

バチカン放送日本語課[2020.9.23.]より

教皇フランシスコは、一般謁見で、未来を共に築くための「補完性の原則」について考察された。

教皇フランシスコは、9月23日、バチカンで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日は、曇りがちで時おり雨の降る天候となったが、会場のバチカン宮殿・聖ダマソの中庭には、教皇との出会いのために熱心な参加者らが集った。

謁見中、パンデミック危機における「世界のいやし」をテーマにしたカテケーシス(キリスト教生活に導くための、キリスト教要理の教え)で、教皇は、「補完性と希望」について考察された。

教皇は、医療を始め、社会、政治、経済に及ぶ現在の危機から脱するために、わたしたち一人ひとりが自分の責任を担うように招かれていると述べた。

そして、その招きに純粋な個人として応えるだけでなく、自分が帰属する共同体や、社会における役割、原則や信仰上の立場からも応えていかなくてはならない、と話された。

しかしながら、社会の中で疎外・無視されている人々や、経済的・社会的に埋もれた立場にある人々は、共通善の再構築に参与することができないという現実を教皇は指摘された。

こうした中、教皇は、1929年の大恐慌の後にピオ11世が回勅「クヮドラジェジモ・アンノ」で示した、「補完性の原則」の重要性に言及された。

「補完性の原則」(サブシディアリティ)は、上から下へ、下から上へと、2つのダイナミックな動きを持つもの、と教皇は説明。

個人や家庭、小さな組織や地域共同体が、本質的な目標に達することができない時、国家のような、より大きい社会集合体が、必要な財源や手段を供給するなどして、その前進を助けるのは正当なことであり、たとえば、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的とした「ロックダウン」のために、経済的影響を受けた個人や家族や企業などに公的援助が行われたことは、これにあたる、と述べられた。

社会の指導層は、中間層あるいは弱い立場の人々を尊重し、擁護しなくてはならない。一方で、これらの人々は、自らの文化・宗教・経済的リソース、あるいは社会的参加をもって、社会全体の再活性化、強化に貢献する。教皇はこのような双方向性の協力の必要を説かれた。

あなたが貧しい人のために働くことは素晴らしいことであるが、貧しい人にすべきことを一方的に教えるだけならば、それは誤ったやり方である、とも教皇は述べ、まず貧しい人がどのように暮らし、何を必要としているかをあなたに話すことが大切であり、このようにすべての人が話す場を持たなければならない、と、「補完性の原則」に必要な態度をこのように表された。

危機をより良い形で克服するには、最も貧しい人々をはじめ、すべての人の自主性と取り組み能力を尊重しながら、「補完性の原則」を実践する必要がある、と教皇は述べた。

体においてはすべての部分が必要であり、特に「体の中でほかよりも弱く見える部分がかえって必要」である(参照: 1コリント 12,22)、と、教皇は聖パウロの言葉を引用。

このイメージの光のもとに、「補完性の原則」は、社会のケアと未来のために、一人ひとりが自分の役割を担うことを可能にすると言え、その実践はより健全で正義ある未来への希望を与え、わたしたちはその未来を、より大きな望みを抱きつつ、共に築いていくことができるようになる、と話された。

以前のカテケーシスで、危機から脱するための道として「連帯」について考察したことを振り返りながら、教皇は、この連帯の道には「補完性の原則」が必要と指摘。社会参加のない連帯は存在せず、すべての人々、特に家庭や、組織、小さな企業などの社会の中間を成す層の貢献が不可欠と語られた。

「ロックダウン」中に、医師や看護師らに対し、励ましと希望のしるしとして、人々から自然に拍手が沸き起こったように、わたしたちは、高齢者や子どもたち、障害者、労働者、様々な奉仕者など、社会を構成するあらゆる人々のそれぞれの貴重な貢献のために、拍手の輪を広げていこう、と教皇は招いた。

そして、拍手だけにとどまらず、希望をもって、社会の正義と愛の理想を追求しながら、より大きな夢に向かって励まし合い、不平等で病んだ過去を取り戻すのではなく、地域的側面とグローバル的側面が相互の豊かさを育て、少数派の美しさと豊かさが花開き、持つ人が持たない人のために奉仕する、新しい未来を築いていこう、と呼びかけられた。大きなミッションのためにあなたの支援を:すべての家に教皇の声を伝えるために23 9月 2020, 16:07

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