【鳥栖】キリストの聖体 説教【2020.6.14.】

鳥栖カトリック教会の聖櫃

鳥栖、第2グループの方にとっては約三ヶ月ぶりの公開ミサ。「キリストの聖体」の主日。久しぶりの聖体拝領。60名ほど参加しました。鳥栖教会は現在2グループに分けてミサ参加を呼びかけていますが、今日の参加状況を見て、7月から3グループに変更するかもしれません。

第一朗読:申命記8・2-3、14b-16a/第二朗読:1コリント10・16-17/福音:ヨハネ6・51-58

【第二朗読】[皆さん、]わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。

【福音】朗読 音声

【福音】[そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。]「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

【本田哲郎訳】*この翻訳は典礼で用いることはできません。 《イエスの生身(肉)に食らいつき、その生きざまに徹底してならえ》「わたしは天からやって来た、生きたパンである。このパンを食べるなら、その人は永遠に生きつづけるのだ。わたしが差し出すパン、それは、この世のいのちとなるためのわたしのこの生身である」。そこで、ユダヤの人たちは、「こいつはどうやって、われわれに自分の生身を食わせるというのか」と、互いにはげしく言い合った。そこで、イエスは言った。「はっきり言っておく。人の子の生身を食らい、その血を飲むのでなければ、あなたたちは自分の内にいのちを得たことにはならない。わたしの生身に食らいつき、わたしの血を飲む人は、永遠のいのちを手にし、わたしも、終わりの日に、その人を復活させる。わたしのこの生身こそ、ほんとうの食べものであり、わたしのこの血こそ、ほんとうの飲みものだからである。わたしの生身に食らいつき、わたしの血を飲む人はわたしの内におり、わたしもその人の内にいるのだ。生きている父がわたしをつかわして、わたしがその父によって生きているように、わたしに食らいつくその人も、わたしによって生きる。これこそ、天からやって来たパンである。先祖の人たちが食べたけれど、死んでしまったようなものとは、ちがう。このパンに食らいつく人は、永遠に生きるのだ」。

【説教】10分30秒

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