[小郡]年間第30水曜日のオミリア(2015.10.28.)

聖クララ会修道院聖堂でのミサのオミリア[10分]2015 30th Wed. in ordinary time(B)←をクリックして聴くことができます。

《第一朗読》エフェソ2・19-22 本田哲郎訳「パウロの書簡」  

 ですから、もうあなたたちは「よそ者」でも「寄留者」でもなく、「聖なる者」たちと同じ住民、神の家族の一員です。あなたたちは、特使(使徒)や預言のことばを話す者たちを土台にした建物に組み込まれており、そのかなめ石はキリスト・イエスです。このかなめ石であるキリストと一体につながっていてこそ、建物全体は組み合わせよく建て上げられていき、主の神殿ができあがります。あなたたちも、このキリストと一体となって、霊の働きによって、同じ建物に組み込まれ、神の住まいをいっしょに造っているのです。

《福音》ルカ6・12-19 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  

《底辺から立つ人たち(漁師・収税人など)が、「派遣される者」に》

 そのころ、イエスは祈るために山に出かけ、神に祈って夜を明かした。朝になると、イエスは弟子たちを呼んで、その中から十二人をえらんで、「派遣される者」と名づけた。それは、イエスがペトロと名をつけたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、フィリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルファイのヤコブと「過激派」と呼ばれていたシモン、ヤコブのユダとイスカリオテのユダである。このユダが裏切り者となった。

《痛みを共有する「手当て」が、「いやし」を呼ぶ》

 イエスは弟子たちといっしょに山を下りて、すそ野のところに立った。そこにはイエスの弟子である民衆と、ユダヤ全域およびエルサレム、ティルスやシドンの海岸地方からの民の群れがいた。この人たちは、イエスの話を聞くため、病気をいやしてもらうために、やって来ていた。けがれた霊になやまされていた人たちも、手当てをしてもらった。民衆はみな、イエスにさわってもらおうとしていた。イエスから神の力が出て、みんなにいやしが起こっていたからである。

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